やましたさんちの玉手箱
ユフィの記事
連載
01 ワタミの宅食で11ヶ月頑張りました
02 ワタミの宅食でパートをした理由
03 世田谷地区進出の初出勤
04 安全な食事を安全にお届け
05 ワタミのまごころさんは身だしなみから
06 お試し5日間コース注文
07 お客様とのお付き合い/その1
08 お客様とのお付き合い/その2
09 お客様とのお付き合い/その3
10 雨が降ろうが、槍が降ろうが…
11 パート中のトラブルいろいろ
12 歳末のワタミは売り込みで多忙
13 大雪では自転車を押して配達
14 ワタミ最終章は 仲間との思い出
Powered by amaprop.net
TOP > ユフィの部屋 > パート

14 ワタミ最終章は 仲間との思い出

宅配事業は活性化/老いても働ける?

ワタミのパートを膝痛で退職してから、満2年以上経つ。
その間に連載は14回まで数え、老齢者を取り巻く環境は加速して大変になっているらしい。
高齢者に食事を届ける配食サービス市場は、飲食関係企業の参入が相次いでいて、競争は激化している様子。
新聞の記事

介護保険制度の平成27年度改正で、更にニーズは高まり、市場は活性化しそう。
ベネッセホールデングでは、シニア・介護事業の一環として、4月から新たに配食サービス事業を開始したらしい。

新聞折込で入っていた広告には、5日単位・一ヶ月単位で宅配、1食当たり620円。
「ベネッセのおうちごはん」は、米と魚が自慢の20品目以上、和食中心の献立で『まいにち七菜』のおかずのみとご飯付の2種類と、『こだわり八菜』の1種類。
有料老人ホームの「食事提供のノウハウを生かす」らしく、4月7日月曜日から始動したらしい。
ベネッセ弁当

まずは世田谷区の一部で開始し、都内へ拡大を図るとのこと。
全く、ワタミの始動時と同じ流れだ。
世田谷区は、ワタミのパートさん達も言っていたのだが、貧困家庭が少なくお金には困っていない家庭が多い、とのこと。

更に、高齢者が選べるメニューを増やしている宅配総合サイト「出前館」では、毎日、毎週選べる配食サービスを目指していて、4月末をめどに都内で試験販売を開始するらしい。
「温かい食事注文・自分で選ぶ楽しさ」を重視するとのことで、決まった料理に飽きる人も多い中、競争はかなり激化しそうだ。

ワタミもそんな中で、1食474円と言う低価格での「まごころ・こばこ」を発売。
「お手頃価格」「「400kcal基準・食塩2.0g以下のヘルシー弁当」。
「和食中心の多彩な日替わりメニュー」なのだそうだ。
お手ごろ価格

今までの「御膳」「おかず」「万菜」に加えて「こばこ」の4種類になって、配送の皆さんは
、「きっと大変だったろうな」と推察した。
1種類増えたことで、積み込みの手間と片付けの手間は、倍加したろうと思う。
長い間慣れた配送箱の中の積み込みを、遣り直しているはずだから。
ヘルシー弁当

参入の宅配弁当が増えても、元気印で強気のSさんは「やっぱりワタミの味が一番美味しい」と頑張っているのかな。
冷凍ではない手作りの味わいは、急速冷蔵での搬送にあるのだから…。
彼は『ワタミは美味しい』と言い切る強さを持っていて業績も一番、弁当以外の売り上げもトップだった人。

ともかく売り込みが上手で、すぐに自分の名刺が渡せるように用意している。
営業マンの過去でもあるのかは、聞いたことがなかったが…。
ユフィが配達中に、改築に当たっていた作業員から声を掛けられたと言ったら、「そう
いう時にはすぐにパンフと名刺を渡す」と教えられたっけ。
なるほど、宣伝と一緒に自分の売り込みもするということか、と納得した。

無理はせずに、しっかりと売り込みは上手にしていた60代のおじさん、暑い夏でも帽子はかぶらずに毛の無い頭を太陽に晒したまま、宅配に2回積み替えて頑張っていたっけ。
帽子は逆に暑いのだそうだが、女性たちから見ると「なんだか日射病になりそう」で怖かった。

70代の自動車で配送していたKさんは、最初の5月から所長とやりあっていたっけ。
時間的な配達のやりくりで、「お客様の言うとおりにしてあげたい」気持ちが強かったらしい。
「お客様の都合の良い配達」は、配送する我々にとって時間的にも身体的にも過剰になるので、所長が『できない』と断るように忠告しての大騒ぎ。

「老齢の方たちのより良い生活のために、もう一度頑張ります」が、オリエンテーリングでのKさんの自己紹介だったことを良く覚えているから、その騒ぎが印象に残っている。
それでも気を取り直して頑張っていらしたけれど…。

「お試し5日間」で配達してくれたOさんは、ワタミの前は今は閉鎖している「世田谷区内の
デイホーム」に勤めていたらしい。
「どちらがキツイ仕事ですか」の質問に、「同じですね、内容が違うだけで」とのこと。
重い荷物を配達するのも、お年寄りの世話をするのも、キツイのは同じなのだと実感した。
対人関係の面倒くささは、関係の濃さや薄さとは別ものということ?

Oさんの前にユフィの地区を担当していたのは、30代のスポーツマンタイプの男性。
他にも掛け持ちの仕事をしていて、100個以上の弁当宅配が無ければ収入が足りない、と言っていたっけ。
それでも8ヶ月くらいは頑張ったけれど、やはり収入は思うようには増えずに、Oさんと交代して辞めていった。

パンフが折り込まれた日や、テレビコマーシャルがあった日の次の週は、申し込みが殺到するから、ユフィたちの「もういらない」コールが起こるのだが、彼は「もっと増えろ」と思っていたのだろうな、きっと。

若い人はこの人くらいだったから、後はおじいさん・おばあさんのスタッフばかり。
弁当の数が増えすぎては、腰痛や膝通にこたえるので、程ほどの量が望みだったのだから…。
腰痛で4ヶ月で辞めて行った60代の女性も居た。
自動車だったが、配達での積み込みや積み下ろしが大変だった様子。

50代後半の、いつも笑顔で気持ちよい応対をしていたYさんは、人の分まで余計に働いても全くいやな顔をしない「できた人」で、それなのにいつもユフィのことを持ち上げてくれたっけ。
「亡くなった母親の供養のつもり」だったらしく、自分の身体が辛くても口にしない人だった
が、やはり女性には無理な仕事なのか、Oさんが言うには「今は女性は一人も居ない」らしい。

若い人と言えば、母親と学生の息子の二人で仕事していて、母親が小柄で電動自転車の配送が無理になり、辞めるというのを所長が事務所内のスタッフ・パートに獲得したSさんがいる。
息子が10代後半だから、母親もたぶん50歳前だろうか。

実に良く神経の回る人で、細かく作業や日程を把握し、弁当の数の確認や不足分の調達、更に気配りもできる人だったので、所長不在の多かった後半はSさんが大活躍だった。
常に毎日2種類の弁当を自分用に注文し、不足分などを調節していたが、これは所長たちも同じ方法を取っていたようだ。

パートの入れ替わりは激しくて、派手な40代の女性は見掛けより気配りが利く人で、一人住まいの老婆の買出しまで手伝っていたらしい。
彼女は良い勤め先を見つけて、3ヶ月で辞めていった。

私と同じく「遊んでいても仕様がないから、午前中だけ少しの配達」のAさんは、前にも書いたが「雪の中を自前の自転車で押しながら配った」女性。

ご夫婦で自動車で配達していたWさんは、とても愛想が良く優しい人だったが、奥さんは配る専門で後から乗車するので、ユフィは時間的なこともあり、顔を合わせていない。

そして、ユフィの待ち望んでいた交代要員のMさんは、小学生のお子さんのいる母親だ。
実習期間の3月下旬、降雪があって滑りやすかった坂道も、若いから乗り切っていたので安心したっけ。
どれくらい続けられたのか、聞いてみたい気もするが、今現在は女性がいないのだから、聞いてもしかたがないかも…。

最近のワタミのテレビコマーシャルは放映時間も長くなって、女性たちの笑顔がとっても明るいのだが、実際には女性は少ないらしいし、女性には厳しいパートだろう。
ビルの掃除をしていたおばさんから、「大変な仕事よね」と言われたことがあったが、人によっての考え方で「大変かどうか」は分からない。

ただ、女性が長続きしないのは、少なからず重労働ではあるということ。
Oさんの「デイホームとの大変さとは違っても、楽な仕事ではない」が本音だろう。
2年後現在のユフィには、当時の元気さが夢みたいだ。

老齢者にとっての「嬉しい食の未来」を待っていまーす。
Powered by amaprop.net
▲ページTOP