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2013年3月11日 東日本大震災に想う

3.11東日本大震災・その時サーヤは

江東区港付近の高層ビルにいました。

自分の仕事は管理部の事務職。3月、人事異動シーズンで繁忙期というところでした。
パソコン作業をしている時。多少の揺れでは皆さん気にせず仕事をしているものですが、徐々に揺れが大きくなり尋常ではない、と職場がどよめきました。

ローラー椅子が動いてしまい普通に座ってもいられない状態になり、「これはまずいかも、防災訓練の行動をするべきだ」とみんな机の下に潜り込み、上司たちはみんなに指示を出しています。
体験したことのない揺れに「ついに来たか、東京大震災?」と思いましたが、阪神大震災や大正・関東大震災レベルの揺れではないな…と平常心もありました。
それに職場が普段から防災対策をしているため、物が落ちたり倒れたりの光景がほとんどなく、危機感がなかったのです。防災袋が各自の机の下に常備してありましたし。
隣の席は大量の資料を机に積み上げていたので、それがバッサバサと崩れ落ちたくらいでした。あとはローラー椅子があっちこちに動き回ったことくらい。
本当に、普段の防災対策が生きていました。

※職場の環境整備・防災対策
棚の上に物を置かない。(何も倒れてこなかった)
キングファイルなどは扉付き棚に保管する。(ファイルは飛び出さなかった)
通路に通行を妨げるようなものを置かない。(みんな素早く行動できた)
机の下に物を置かない。(全員すぐに机の下に避難できた)
個人用防災袋を机の下に常備する。(すぐにヘルメットを着けられた)
防災担当を決め、災害時は指示を出す。(上司と担当が指示を出していた)
災害時はアナウンスが流れ、指示を出すので、それに従う。(流れていた)


あ、でも実は環境整備の担当者に注意されていて、上司が「いいじゃないか」とそのままにしていたものに、ちょっと被害が…。
「棚の上の生け花」です。
水浸しになっちゃいました。まぁ、これくらいは見逃させてください。生け花の隣に座っている上司が避けてくれればよいので。

後から家族や他の人の話を聞くところ、当時の揺れ方は自分とは違ったようです。
耐震設計のある新しい高層ビルだったので、ダイレクトに揺れや響きが伝わるのではなく、ゆっさ~ゆっさ~という揺れ方でした。なんか嵐の中の船みたいな感覚。
たぶん、地上に近い人の方が怖かったのではないでしょうか。自分は完全に船酔い(?)してしまいましたが。

しばらくして揺れが落ち着き、みんな机から出てきて「うわー大きかったなー」と、結構落ち着いてます。
まだ余震があるので、念のためヘルメットを着け、アナウンスを聞いて様子を見ます。
防災訓練のように外の公園まで避難するかと待ち構えていましたが、しばらくしてアナウンスが。
「津波警報があるため、外へは避難しません。津波においては社内の方が安全です。外には出ないでください」
この高層ビルは港沿いにあるので、津波には敏感です。25階建てなので、山も丘もない大都会では、高いビルに居る方が安全です。
というわけで、大きな余震の時は机の下に避難しますが、どうしようもないので仕事を続けます。

交通機関がマヒし、余震も続いており、相変わらず津波警報は解除されないまま。
これは帰れないかなーと家族にiPhoneスマホからメールしますが、繋がらない。家族からのメールも届かない。これは困った…と思っていたら、友人からのメールが届いた。
どうやら、友人の携帯はPHSで混線に巻き込まれることなく通じたらしい。なので、友人に頼んで両親に「自分は無事。何かあれば友人のPHSで連絡をとる」と伝言を頼みました。

さて、会社に泊まりこみかなと思っていたら、連絡がとれた友人が車で迎えに来てくれるとのことなので、お願いすることに。
ほとんどの同僚は泊り込みすることになってました。(夜遅く、地下鉄が復旧したが津波警戒のため、みんな上司に止められました)

後日、同僚にその後の様子を聞いたところ…。
夕食のために1階テナントのコンビニにいくも、商品が売り切れていて何も買えず。仕方なく、会社から配られた毛布と災害用非常食を食べてみたが…「まずかった」とのこと。
その商品はこれらしい。
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サバイバルフーズとしてはレベルの高いものらしいですね。職場の評判は悪いが、Amazonの口コミは意外と高評価。非常食に味を求めるな!ということか。
深夜あたり、1階テナントの和食店員がおにぎりを握って社内の人たちに配ってくれたようです。とても美味しかったとのこと。テナントの人たちも帰れなかったのですね、お疲れ様でした、ありがとうございました。(社内だけで数千人はいたと思うのですが、まさか数千人分握ってくれたのですか???)
翌日、同僚たちは復旧した電車で帰れたようです。

さて、自分は友人の車に乗り、千葉の友人宅に向うことにしました。
だが、千葉から江東区までは2時間でこられたものの、都会から下り方面に向う人と車の多いこと!大渋滞に巻き込まれて動けなくなってしまいました。
長い時間が過ぎて明け方が近くなるも、動けないまま。もう友人宅まで歩いて1時間ほどの距離なのでやむなく車を近くの駐車場に停めて、徒歩帰宅することに。

友人はPHSでしたが、私はスマホだったので、スマホで地図を確認しながら進みます。空腹だったので途中にあったコンビニに入りますが、何もありません。残っているのはお菓子とジュースくらい。
それを買って食べているとき、通りすがりの女性に「近くに学校はありますか?」と訊ねられました。自分はスマホを持っていたので、GPS機能で地図を見て近くの学校を教えました。その人は都会から歩いてきたが、限界なので学校に避難したいとのことでした。

明け方、友人宅にようやく着いて、私はそこで初めてテレビを見ました。
職場にはテレビがなく、スマホにはワンセグがなかったので、あの津波の光景を見ていなかったのです。
そこでやっと自覚する。大変なことが起きてる…。

疲弊していたので、普通に食事とるよりも体を休めようと数時間ほど就寝し、昼前に近くの電車が復旧したので、取り急ぎ自宅に帰ることにしました。

ここで、私はまたも災害時の交通機関をなめていました。
千葉から都会に向う上がり電車。土曜の昼前。さほど混んでいないだろうと思っていました。
毎日の大都会ラッシュアワーに慣れている自分でも、これほどの満員電車には乗ったことがない…と思うほど人がパンッパンでした。うぁ~乗りたくない~…。いまさら友人宅に戻るわけにもいかないし、思い切って乗り込みました。
だが災害に弱い京葉線。鈍行になったり停まったりで、なかなか進んでくれません。

たぶん、震災発生時から今までの中で、この時が一番の苦難の時間でした。

都会の地下鉄は強いですね。山手線圏内に入ってから、他の地下鉄路線が普通に動いて混んでいないとわかったので、直ちにその電車を降りて、乗り継ぎながら自宅にたどり着きました。

そういえば、地震発生から帰宅するまで、丸一日たってますが、ほとんど食べてないです。お菓子とジュースくらい。すぐに母に何かを食べさせてもらいましたが、何を食べたかまったく覚えていません。空腹でがっついたのは覚えてるのですが…。
自室に戻ると、わー散らかっている!
でもよく見ると、机の上に置いた本と書類、棚の上のぬいぐるみが落ちたくらいで、心配していたパソコン一式や液晶テレビ、ぎっしりの漫画本棚は不動のまま。
片付けに5分くらいですみました。被害らしい被害は1つのコップが落ちて割れていたくらいでした。友人宅は食器や物が落ちて割れており危なかったが、やましたさん家はほとんど被害がなかったですね。

というわけで、今回の教訓。
災害時は素直に会社宿泊するべきでした。
2.3時間で歩いて帰れるレベルならまだしも、それ以上となると深夜に学校を探す帰宅難民の女性と同じことになるし、混雑した交通機関のほうに苦しめられます。

振り返ってみると、会社の対応は素晴らしかったですね。工場が多いので事故・災害対策がしっかりしているし、港沿いなので津波にも敏感でした。
改善点は会社員の非常連絡網システム。電話回線パンクしても安否確認できるよう対策中だとのこと。

今回の経験を踏まえて、会社宿泊や帰宅難民の個人防災対策を練ってみました。
後ほど、それを記事にします。
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