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2013年3月11日 東日本大震災に想う

3.11東日本大震災・その時ジャックは

御茶ノ水にある病院にいました。

 その時のジャックは、仕事先の御茶ノ水にある、ある病院の病棟で清掃作業中でした。仕事場は、最上階に近いフロア。
 三時の休憩時間に近く、病棟の仕事が一段落で、階段の踊り場で片付けものをしていました。この時も、床に目を向けて作業をしていたので、揺れが来たとき、咄嗟に地震だとは気がつきませんでした。
 一緒にいた女性作業員が、ジャック、地震だよ、大きいよ、と言われて気が付いた次第。彼女は脱兎のごとく、階段を下りていきました。
 病棟にいなかったので、何かが揺れているとか、音を立てているとか、誰かの悲鳴が聞こえるといったことがなくて、狭い空間で階段が大きく揺れ始めるといった、ひとりだけの恐怖が湧いてきました。
 どうしよう、という思いもなく、手すりにつかまって、ジャックは屋上に上ることを考えたのです。屋上の扉を開けると、医局に続くドアからすでに10人程度の白衣の人が集まっていました。
 彼らが見るほうをみると、排煙のための煙突ががたがたと、音を立てて揺れていました。始めてみることでしたが、これは折れるな、と思っただけで、ただ、煙突の揺れる音だけがしていました。
 屋上の縁のほうを見ると、建築中の20階はあろうかというビルが見えました。まだ、ガラスが入っていなくて、黒い四角の中で、裸電球が左右に、端が見えなくなるほどに揺れていたのを、覚えています。後で気が付いたのですが、看護師さんは一人も屋上にはやってきませんでした。皆、すぐに担当の患者さんの部屋へ駆けつけたのだそうです。

 揺れが落ち着いたので、病棟に戻りました。歩行が出来るような患者さんは、窓から外をのぞいたりしており、立ち上がれない女性患者さんは、看護師さんに手をにぎってもらったり、肩をさすってもらったりして、少し落ち着きを取り戻していました。
 しばらくしてもう一度激しい揺れがありました。私の隣にいた男性患者さんが、私の手をしっかり握り締めて、まただ、また揺れている、怖い怖い、と独り言のようにつぶやいていたのを覚えています。
 この時、最も被害が大きかったのがナースステーションで、カルテの束が床に散乱し、準備室では、薬品類が多数床に落ちていました。 
 私に出来ることは、ストッパーが掛かっているのもかかわらず、大きくずれてしまっているベッドを元に戻すこと、同じように患者さんの私物を入れた棚の位置を直すこと、幸いテレビ台は大きく動いた程度で、ひっくり返ったものはありませんでした。
 
 2時間ほど掛かって担当する部屋の片付けが済みましたが、途中患者さん、看護師さんが数名テレビを見て悲鳴をあげているところがありました。音声はヘッドホン着用が義務付けられているので、聞こえませんでしてが、津波が大きな堤防を越え、また引き返す大波に車が、玩具のように堤防を流れ、越えていくのを見ました。そのときは、津波の大きさや被害も分からず、ただ、現実感のない、まるでCGでも見ているような感覚しかありませんでした。

 控え室に戻りましたが、この時間にはもう全ての交通機関がストップしているニュースが流れていて、ほとんどの作業員は家に帰るのをあきらめて、明日の仕事のために篭城する準備に掛かっていました。
 一階の待合室も、見舞いに来た家族の方たちが、帰るのを諦めて、病院で一夜を明かす支度をしているようでした。翌日になって分かったのですが、病院では毛布などを配り、食堂係員も泊り込みで、おにぎりを配ったそうです。

 私は、とにかく家に帰ることを考えていました。病院は、以前私が勤務していた出版社から比較的近いところにあり、残業で深夜帰宅のときに利用したタクシーの道筋がある程度分かっていました。とにかく自宅への電話は通じず、心配して一夜明かすより、とにかく帰ることに決めていました。明日も電車が動かなければ、自転車でくればいい、とも思っていました。
 娘のことも気になりましたが、彼女の会社は数年前、社屋を新築していましたから、どのように過ごすかは別にして、とにかく心配はないだろうと思っていました。

 さて、帰路です。
 私は、とにかく渋谷を目指すことに。

 深夜帰宅していたとき、タクシーによって、御茶ノ水から駿河台下をまっすぐに、皇居へ出て右回り、三宅坂から赤坂見附、246号を渋谷へ。と言うコースと、
 同じく、駿河台下を右折、九段下、市谷から四谷、権田原から神宮外苑、そして246号以降は変わらず、という二つのコースを取ることが多かったようでした。
 私は、皇居半周がちょっと遠回り、の感じがして、後者のコースで行くことに。

 駿河台下へ出ると、すでに靖国通りは人と車でぎっしりです。向かって左側の方が空いているような気がして横断、思うにここから歩こうとしている人たちは、四谷までは私と同じコース、四谷から新宿へ向かうのではないかと思いました。この辺から、市谷から陸橋を越えるのに右側を歩くほうがいい、と判断しているのではないでしょうか。
 私は、歩くのがとても早いのです、男性と歩いていても“お前は早い”と言われます。かなりせっかちなのだと思います。前を行く人を追い抜くのに、まるで、週末の渋谷駅周辺を歩いているような状態。ヘルメットを被って歩いている人もいます。
 九段下の交差点で、左の方角がテープで封鎖され、消防や救急車両が多く、赤いランプが明滅、後で分かったのですが、九段会館の天井が落下して、死傷者が出た現場でした。

 私は市ヶ谷駅まで行かずに途中で左折、旧日本テレビの社屋のあたりを目指します。この辺の路地にはいわゆる帰宅者の姿はほとんど見当たりません。歩くスピードが増します。246号に並走するような路地を選んで麹町から四谷へ。四谷周辺も大混雑、思い出して携帯をかけて見ましたが不通。迎賓館へ向かう通りに公衆電話ボックスが、2~3人が並んでいましたが、こうした固定電話は通じたのだとかは、後で知ることに。
 暗い権田原も人影まばら、日本閣の屋根瓦が落下して、テープで囲ったところが数箇所、ようやく神宮間近、渋谷に近づいている感じがします。神宮球場は暗くてひっそり、ほとんど歩いている人は見当たりません。

 ここで246号へ、再び人の波です。中には若い男女数名のグループがいて、渋谷のどの店が入れそうだなどと、休憩、篭城の話をなぜか楽しそうに話しているのを追い越しました。こんなに帰宅者が多いのは、明日が土曜日、何とか家に帰れば明日はゆっくり休める、という考えもあってのではないでしょうか。この日がウイークデイだったら、もっと多くの人が会社に留まって、明日に備える、という状態もあったのでは、と思いました。

 渋谷も大変な人の波、ここまで来れば後は「ジャックの散歩道」、獣道だってあり。人が大勢座りこんでいるマークシティーを抜けて道玄坂上に、昔の丸山三業地から神泉へ、駅前の踏み切りで警報音が鳴っているので、電車が動いたか、と改札へ急ぎましたが不通、電車の接近で遮断機が下りたままのなっていたのです。
 旧山手通りを渡って、セントラル病院のわき道を駒場へ。もう家に帰ったようなものです。途中、地図を片手の女性グループが何組か、商店のひとに道を聞きながら、どうやら下北沢を目指しているようでした。

 家に着いたのは8時半、3時間半掛かりました。
 私が心配していたのは、庭の温室のガラスが割れているのではないか、ということと、私の部屋でスチールの棚に置いたテレビとミニコンポが落ちているだろう、ということでしたがなんと、全て無事、食器がひとつ壊れただけだったようでした。
 ユフィーは私は帰らないだろうと思っていたようで、びっくりでした。まだ肌寒い夜でしたがかなり汗をかいていて、風呂をつけようとしましたが、ガスがつきません。懐中電灯を持って家の裏へ、ガスメーターの辺りのボタンを押したり引いたり、10分ほどかかって点灯。遅い食事をしながらテレビで惨状を見たり、家の様子を聞いたり。
 我が家はほとんど被害なし、でした。

 翌日は通勤コースの電車はほぼ予定通りで、6時過ぎに出勤、夜明かししたスタッフは私が来られないだろうと心配していました、いえ、私の身を心配したのではなく、私が来なかった場合の人のやり繰りを心配していたのです。

 病棟に上がると看護助手さんが眠そうな目、なんでも5時に旦那さんか車で迎えに来て、家まで9時間も掛かったそうです。家について、すぐ出てきたようだ、と言っていました。それでも家に帰って安心できたと。

 この日の清掃は大変でした。昨日は気が付かなかったのですが、部屋全体がかなり揺さぶられたせいでしょう、普段見られない埃がたまっていたり、動いた棚の周辺にごみが集中したりと、手間取りました。病院も損壊などの被害はなかったようです。ただショックで体調を悪くした患者さんも多くいたようです。

 こうして今、思い出すとかなり仔細なことを覚えていることが分かりました。少なからず怖い思いをして、非日常の体験をしたことが記憶として残っているのでしょう。
 被災地のことは分かりませんが、当地の方たちは恐怖が大きくて、かえって仔細なことは覚えられていない、ということもあるのでしょうか。
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