やましたさんちの玉手箱
ジャックの記事
連載
01 60歳代で仕事がなくなるあなたへ
02 いつだって 監督の目を意識しろ
03 誰にだって、過去はある
04 家に帰り着く前の酒は なぜこんなに旨いのか
05 五度目の就職 ブルーカラーだ
06 私は清掃員か 清掃夫か はたまた清掃師?
07 言葉で教える、難しさ 例えばさあ
08 重力でゲロをコラエル 清掃こそが運動だ
09-1 いっけねえ ぶっ壊しちゃった その一
09-2 いっけねえ ぶっ壊しちゃった その二
10 大 しながら流す 小 座ってする あなたどっち派?
11 今時はやらないけど ウンコには紙だ
12 転職 清掃のプロに一歩踏み出す
13 ヒワイ ゲロ ウンコ 話の合う おばんたち
14 皆さん、床に落とした物は拾いましょう
15 口笛ふいてバキューム掛け 掃除に音楽は欠かせない
16 タバコとガムの捨て方 ゲロの吐き方 お教えします
17 でも しか じゃ掃除はできないぜよ
18 あとがき
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からだにいい「清掃人」入門体験風

09-2 いっけねえ ぶっ壊しちゃった その二

仕事にトラブルはつきもの
とはいうけれど 
その二

『史上最高額、ブロンズ像落とす』
 ここからは他のスタッフの出来事。

 横浜市、田園都市線の最寄り駅からバスで15分ほどの小高い丘陵を開発して出来た高級マンション。エントランスへ入ると、正面のガラスの向こうは建物ではなく、丘陵部分の緑の植え込みが見える広々とした造り。初めて入ったときから広いエントランスの中央に背丈ほどの台に像が乗っているのがまず目に入る、というのを私も覚えていた。

 この像を落としてしまったのが、パートの同僚Tさん。像の周囲には何もない。壁やガラスの面までも7~8メートルはある。広場の中の塔のような存在。話によると、ということなのだが、スタッフの誰も見ていないので、どうやって落としたのかが分からない。実は当のTさんも咄嗟のことで動転してしまったようで、後になっても、どうしてこれを落としてしまったのか説明できないでいる。それこそ、何かに腹を立ててぶっ叩きでもしないかぎり落ちるはずがない。

 はっきりしたことは分からないのだが、Tさん、水洗い用のホースが足りなくなって車に取りに行き、エレベーターを使わずに中庭を登って近道をしようとしたらしい。エントランスを横切って、何か忘れ物をしたと思って、途中で引き返した途端にガシャンときた、というのだ。

 ホースは運ぶとき、輪になっているものを肩掛けにする。彼も広いエントランスで周囲にぶつかるものは何もない、と思っていたのだろう。そこに像が建っていることも意識していなかったようで、何が起きたかも、だから分からない、ということのようだ。
 忘れ物、と、くるりと回れ右をしたときに、ホースの先端が像に巻き付いたか、としか考えられない。部長が担当するようになってから最高額ということだった。いつもなら、ミスは後々、冗談交じりに話がでるものただが、この話はミステリーとして、誰も話題にしない、いや、以後しょんぼりしているTさんを肴にするわけにいかないからなのだが。

『班長ぶん殴られる』
 私たちの作業で、人との接触事故を起こすことはほとんどない。マンションの共用部分では住人の方たちが作業の横を通ることがあるが、ポリッシャーと水洗いの人間はお互い向き合った状態にあるので、人の姿が見えたときはお互い“通られますよ”と声をかけて中断する。私たちが気づくのが遅れても、住人の方たちは立ち止まって待ってくれる。

 唯一、人との中で作業しなければならないのが金融機関の店舗。カウンター周辺は窓口が閉まってから行うのが原則なので、シャッターの降りた店内は職員以外は無人。緊張するのはATMコーナーでの作業だ。
 ここは完全に閉じることが出来ないので、コーナーに置かれている行列整理用のベルトを移動して、半分ずつ、お客様を無人の状態にして行う。
 午後3時過ぎにATMに行くと、半分しか利用出来ないで、列をなしている片側で清掃しているのを横目にいらいらさせられた経験をお持ちの方もおられるだろう、あれ、私たちなのである。

 ATMコーナーは人の出入りが多くて、けっこう汚れがひどく、また店舗の看板や案内板が多いので移動するのにも気を遣う。急ぐあまりに隅々に手を抜くと、あの、定年退職後に再就職したような、私たちにはけっこううるさそうな「店内ご案内係」が“隅にワックスが届いていないよ”などとシンセツに声をかけてくれたりする。

 狭い場所の割には人手をかける。ポリッシャー、カッパキ、モップ、ワックス、そしてお客様が間違って清掃部に入り込まないように誘導係が必要だ。この誘導係がなかなか難しく、誘導を遠慮すると作業部分に入ってこられる、出ていってくださいとも言いずらく、みんなで顔を見合わせて終わるまでストップすることになるし、他のお客様も“あれはなんだ”という顔をされる。
 班長が誘導という訳にもいかず、さりとて気の弱い人間もまずい、日頃言葉のコミュニケーションの苦手なスタッフには誰にも気の進まない役目だ。

 この事件が起きたのは池袋の近い店舗でのこと。誘導を無視して列の居ないATMに並ぼうとした男性をみて、この時ポリッシャーを担当していた副主任が“しっかり誘導しなくちゃだめじゃねえかよ”とスタッフに声をかけながら、お客様に並び直すように言ったとたんに、横っ面をぶん殴られた。

 黒っぽいスーツ、黒いバッグを抱えていたという。副主任の行為は間違っていないと思うのだが、急いでいたのだろう、それにこの副主任、日頃の物言いに慇懃無礼なところがあって、時に、ムカッとすることが誰にでもあって、後日他のスタッフからも“あれなら、いつかやられる”とあまり同情の声が挙がらなかった。
 が、以来、この店舗では誘導係はかなりビビッて仕事をするようになった。

『ピアノは動かすな』
“ばかやろー、そんな事引き受けるんじゃねえ、自分で行って断ってこい”昼休みに入ったとたんに、親方が携帯で怒鳴っている。

 この日、世田谷区にあるBハイムで作業していたFさん。彼はスタッフの中ではいちばん小柄なのだが、如才がない、いちばんのヘビースモーカーでもある。時々住人と立ち話を始めて、つい一服やってしまって班長から文句を言われている。

 Fさんは老婦人から、家のピアノを少し動かしてもらえないか、と頼まれたのだそうで、“昼休みに何人かで来ましょう”と約束をしたのだとか。彼女もよく見る顔だし、スタッフも何人かいる、気軽に相談したのだろうし、Fさんも気軽に応じた、という訳だ。班長が話しを聞いて親方に相談をしたものだ。

 私が班長だったら、親方に相談しただろうか。多分、Fさんを伴ってこの家に行って、簡単に仕事を済ませただろう、と思う。
 しかし、班長の判断は正しかったようだ。ピアノを動かすのは簡単だったかもしれない。でも、もしピアノの上に乗っている大事なものを落としたら、ピアノを引きずって床に傷をつけてしまったら、……老婦人はそんなことに腹を立てることもなかっただろうが。

 親方はこう言いました。
“オレ達は床の清掃に来てるんて、余計なことはしない方がいい時もあるんだから、丁重に班長と行ってお詫びしてこい”と。
 さすが親方。

『億ション廊下でおしっこ』
 港区にあるAマンション、いわゆる億ションといわれる高級マンション。入居が一通り終わって始めての清掃だ。親方は冗談30%で、前日、明日の作業はユニフォームの汚いヤツ、だらしのないやつは連れて行かない、と宣言したそうだ。この日、トリさんの姿が見えなかった。

 作業する廊下はベージュのカーペットが敷かれている。この清掃では
1 アップライト・バキュームをかける(細かいゴミを取る)
2 水分を拭くんだ細かいおが屑状の粉末を撒く
3 ローラーをかけて全体になじませる
4 再びアップライトをかけて吸い取る
5 ブラシで目立てをする
という手間のかけよう。始めに現場に入る前に、絶対に水分を持ち込まない、飲み物をポケットに入れるのも禁止、というお達しが告げられていた。靴も通常使用しているものは汚れが目立つ、と新しいものが支給された。

 作業を始める前に、廊下に目立つ汚れやシミがないか、親方と班長が点検に。ある扉の前でしゃがみ込む。扉の前に黒い毛が散乱しているという。多分犬の毛だからアップライトで巻き込むと広がる心配があるから、始めにこの部分だけ手作業で行うことにした。

 作業に掛かろうとしたまさにその時、その扉から若いご夫婦(兄妹? 後で“あの人達が住んでるんならえらい金持ちだ、いや、親と同居に決まってる”、などとうわさ話しきり)が黒のラブラドールを連れて出てきた。大きさから、まだ一歳に満たないだろうと見えた。

 エレベーターホールに突き当たるダストボックスの扉を男性が開け、女性がゴミ袋を中に入れようとした瞬間に、犬が突然しゃがんでオシッコをした! 誰にも止められない! オス犬であれば多分マーキングするために外に出るまでがまんしたであろうか、メスのこの犬、部屋から出たのでOKだと思ったか。
 女性が声を上げた、私たち全員は声をのんで女性の顔を見た。女性はこう言った“すみません、だいじょうぶですか”だいじょうぶなわけないが、親方はこう言った“ダイジョウブデスヨ”。

 二人と犬がエレベーターに消えると、班長が“とにかく管理人に言わないと、オレ達のミスじゃないって知らせておかないと”というのだが、親方は“いや、管理人に言うとあの二人も怒られると思うよ、オレだいじょうぶって言っちゃったんだからそれはまずいよ、とにかくすぐシミ抜きやってみるから、それからにしよう”ということになって、私たちは作業にかかった。
 次のフロアに移った頃親方が戻ってきたが、きれいになったから何も言わなくていいぞ、でオシッコは収まった。シミ抜きをしている間にはワンちゃんははご帰宅しなかったそうだが、みんなで“今頃は犬風呂で休憩中だろう”とうらやんだ。

 犬風呂というのは、この日私たちが最初に入った作業場所で、通用口を入ったすぐの場所にある部屋、8畳ほどの部屋が二つあり、一つにはシャワーホースが3本、もう一つにはベンチと壁に脱衣を入れる棚が、更に観葉植物が置かれている。“おい、ここは何なんだ”と、入り口を見に行ったウッチーが“DOG ROOMってプレートがありますよ、ここ、犬の風呂場だぜ”ということがわかった。お散歩帰りの身だしなみの部屋だったのだ。“オレの部屋よりでかい”とか、“象でも洗える”とかの話が後で行き交ったのはもちろんのことだった。
 最近のマンションはペット可の物件がほとんどと聞く。しつけ途中のメス犬をお持ちの方は、どうかご注意を、部屋の中とは違和感のないカーペットの廊下はオシッコOKと勘違いされることが多そうなので。

『とどのつまりは、そそっかしい』
「物損」というほどではないけれど、人知れず壊したり散らかしたりは、実はけっこうやっている。〝感覚的な平均〟でみると、煎じ詰めればそそっかしいヤツがヤルことになることが多い。我がスタッフでは班長各のトリさん。

その1 マンションのエントランスには大きな観葉植物が置かれている場合が多い。まず、この移動から始めるわけだが、二人で抱えて持ち上げるのには、相方がよし、といわないうちに持ちあげてひっくり返す、ということがよくある。“なんでちゃんと持たねえんだよ”といわれるが“お前がオレに合わせねえからだよ”とトリさんに口答えができるのには半年ぐらいかかった。
 見た目は危なっかしく見えるかもしれないが、一人で持てそうなものは、一人で持ったほうがいい。また、一人で持てないほど重いものは、あまりお目に掛かった(お手にかかった)ことはない。

その2 オフィスの清掃の二番手はポリッシャーで洗った洗剤入りの汚水を缶バケツにカッパいでいく。必然缶バケツは重くなっていく、が始終洗い場に捨てに行っていては、作業が中断しかねない。このバケツは取り外せるキャスターが付いているので、足で押しながら移動するのがほとんどだ。

 一部屋が終わって次へ移るときに、小さな段差を考えずに廊下に蹴り出そうとして、ひっくり返して汚水をぶちまけることになった。えてしてミスは仕事に慣れた頃に起こるものだが、私も初めのうちはバケツを移動するときには、手で引っぱっていたものだが、見よう見まねで、足で動かしていて、こういう失敗をすることになる。
“はい、ジャックさん、カッパキの練習ね”と言われながら、小休止の間に始末させられることが二度とならずあった。

その3 Rマンションのように、子供の多いマンションの玄関前にはディズニーキャラクターのウサチャンや白雪姫と小人や「WELCOM」のタッグを下げたミッキーが置かれている。
 トリさんがポリッシャーをかけるとき、彼はよく“次、ウサチャンあるからね”と声をかけてくれる。声をかけたとおもったら、カシーン! ということがよくあって、“お前はいつもウサチャンの予備を持って歩け”と親方に嫌みを言われるのだが、“トリさんちょっと待って、ウサチャンどかすから”と声をかけても嫌な顔をされなくなった。

その4 〝パッカーン〟白色灯がマンションの廊下に落下したときの音はじつに爽快な気分になる。

 年末が近づいてくるとマンションの共用部分の証明器具の清掃や取り替えが多くなる。千葉市内からバスで30ほどかかる丘陵部にある5階建てのマンション。各階に10箇所ほどある電球を一つずつ取り外して拭きあげ、元に戻していく。切れていたり、光が薄くなっているものは変えていく。

 電球をはずすには脚立に乗らないと届かない。脚立というのは、実際に上に乗ってみないと、自分が居る高さの感覚が分からない。当たり前のようだが、6尺といわれる脚立の上に立つと、以外と高いところにいる、ということが実感できる。マンションの廊下に脚立を立てて乗ると、眼下に庭や駐車場がいつも見ているよりはるか下に見える。
 なるべく手の届く範囲で、なるべく部屋に近い方に脚立をセットするのだが、どうしても、もし、脚立が倒れたら塀の外側までもっいかれるのではないか、とばかなことを考えてしまう。
 トリさんは案外、高所恐怖症なのかもしれない。ちょっと腰が引けている。作業は灯りが点るのを確認する必要があるので、日中でも点灯しながらやるのでけっこう熱い。また白色灯は家庭用の回しながら取り外しするものと違ったはめ込み方をするので慣れないとうまくいかない。
 この日〝パッカーン〟は5回、3回目ぐらいだったか、どこからか“お前、いくつ割ったら気が済むんだ!”と大声がとんだ。本人が脚立から落っこちるよりはいいのだけれど。
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