やましたさんちの玉手箱
ジャックの記事
連載
01 60歳代で仕事がなくなるあなたへ
02 いつだって 監督の目を意識しろ
03 誰にだって、過去はある
04 家に帰り着く前の酒は なぜこんなに旨いのか
05 五度目の就職 ブルーカラーだ
06 私は清掃員か 清掃夫か はたまた清掃師?
07 言葉で教える、難しさ 例えばさあ
08 重力でゲロをコラエル 清掃こそが運動だ
09-1 いっけねえ ぶっ壊しちゃった その一
09-2 いっけねえ ぶっ壊しちゃった その二
10 大 しながら流す 小 座ってする あなたどっち派?
11 今時はやらないけど ウンコには紙だ
12 転職 清掃のプロに一歩踏み出す
13 ヒワイ ゲロ ウンコ 話の合う おばんたち
14 皆さん、床に落とした物は拾いましょう
15 口笛ふいてバキューム掛け 掃除に音楽は欠かせない
16 タバコとガムの捨て方 ゲロの吐き方 お教えします
17 でも しか じゃ掃除はできないぜよ
18 あとがき
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からだにいい「清掃人」入門体験風

08 重力でゲロをコラエル 清掃こそが運動だ

第八章
掃除をして痩せないヤツは
ソージをしていない

『メタボリックシンドローム』の言葉はもう一般化された。私たちの年代になると、メタボリックシンドロームはもちろんのこと『アンチエイジング』(抗加齢)ということにも気を配らなければならなくなる。この両者を解消するために、これほど格好の作業はないか、と思うのが、真夏に行うマンションの中階段の床清掃だ。

 気温33度を超える予想のこの日の作業は、杉並区にある「Sハイム」。ハイムという名の付くマンション、ある年代には懐かしさとおしゃれなイメージが漂う。いわばマンションの先駆けといえる。おそらく当時30代前半ぐらい、現在でもマンション購入者の平均年代と思われる時代に手に入れたものだろう。

 先の作業で紹介した千葉市内のRマンションとの違いは、まず子供の姿の有無だろうか。Sハイムは圧倒的に高齢者が多い。またSハイムにはOさんが“ズボンを脱いでいる”と通報された自転車置き場に数台分の駐車スペースがあるだけだが、Rには立体の数10台の駐車場があり、広い自転車置き場には、色とりどりの子供用自転車が並んでいる。
 しかし、Sハイムには駐車スペースがない分、広々した庭がある。7階建ての屋上スペースにとどくほどのヒマラヤ杉やけやきの巨木が並び、建物の周囲にはサザンカや、今ではあまりお目にかかれなくなったヤツデの葉が大きく広がっていて、私たちにはホッとさせる土の面が見られる。周辺は住宅街、というのも特色だ。

 Rマンションの階段は大部分がテラスに繋がっているもので、床を洗うには水を流せばよい。が、Sハイムの中階段は機材を使っての清掃が必要となる。4棟にはそれぞれエレベーターが一機、止まるのは5階のみ、5階部分に廊下があり、中階段が4本、多分3、4階の住人はエレベーターで5階にあがり、階段を下りることになり、2階の住人は多分階段を上がることになる。高齢者にはきついこともあるだろう。

 作業は4人一組で2棟ずつ。この現場では私がトップ。4インチという小型のポリッシャーで洗っていくが、これには水のタンクが付いていないので、水の入った大型のポリバケツにタワシを持って、ポリッシャーの届かない階段の隅をこすりながら、満遍なく水気をつけていく。

 ポリッシャーの後をウエットバキュームが行くが、階段で台車が使えないので本体を片手で持ちながら一段ずつ降りていく、力仕事だが、汚水がたまっていくとかなりの重さになる。この後をモップとタオルで拭きあげていく。全員が階段に這いつくばっての作業である。私のバケツは軽くなっていくが、だいたい2.3階部分でカラになるので1階に補給に。ここからはエレベーターで上って下りるか、階段で上がるかはその時の気分と体調次第。

 どちらかというと私の進行が早くなるので、ポリッシャーがくるまでに床が乾いていないか、時々逆行して確かめながら、拭き作業を手伝うことになる、従って階段の上り下りは私がいちばん多くなる。

 2本目に入った時に、ポリッシャーのトリさんから携帯、“悪いけど、トイレからトイレットぺーパー持ってきてくんない?”と言うので“どうしたんだよ、うんこもらしちゃったのか”と聞いたら“違うよ、洟かむんだよ”と。
 彼はレベルの高い花粉アレルギーで、夏でもマスクが欠かせない。うんこ3~4回分とおぼしきペーパーをちぎって持っていった。階段の踊り場から“持ってきたぞー!”と呼んだら“シーッ”と口に指を当てながら上がってきた。何でもここでは大声は禁物なんだとか。
 おそらく、ある作業の時に1階と5階の廊下で大声でやりとりをしていたのを、住人が管理人に通報して、管理人から主任が大目玉をくったらしい。ここの住人はなかなかやかましいし、管理人は少々強面で迫力がある。

 持ち場に戻ろうとしたら“ヘークション”と階段を響かせるようなトリさんのくしゃみがきこえた。何のことはない。

 汗が噴き出してくる。髪の毛から、顎の下から、タワシを使っている下のステップに汗の玉がいくつも落ちていく。風の通らない中階段はおそらく35度を超えているのではないか。班長も熱中症を心配して、休憩時間でなくても水分補給で適当に休むよう伝えている。

 今日拭きをやっているHさんは汗かきで、夏の間の作業に渡されている会社のロゴマーク入りのTシャツは、作業前の荷下ろしのときから汗びっしょりで、休憩時間に見たら汗でTシャツが太い腹にへばりついて、胸は大きな黒い乳首か透けて見える。
 こうしたことはスタッフどうしあまり口にしないのだが、私は年長者・ウルサ者でいいと思っているので“Hさん、ソレ住人の人が見たらおかしいと思われるから、暑くても上着を着た方がいいですよ、上着が濡れていても、あ、仕事してるんだねっていう感じで見られるでしょ”と。

 何か言い返されるか、と思ったが“そうですね”と言ってバッグから上着を取り出した。ただし、Tシャツは水で素洗いして、しぼったあと、濡れたままのものを着た。Hさん“汗はとれるし、何枚シャツ取り替えても同じだからね”と、そりゃそうだ。

〝前夜の残り物弁当〟夏場はちょっとあぶないので、昼は他のスタッフは車でファミレスへ、私はちょっと歩いて商店街の生そばの店へ。さっぱりとざるそば、といきたいところだが、スタミナを考えて天丼を奮発。

 食後の作業が始まって、這いつくばりを開始すると、この天丼が胃からこみ上げてきそうになる。ニワトリが時を告げるように、上を向いて、腰を伸ばして、やり過ごす。こんな時、ある雑誌でビートたけしさんが『書の達人』といわれる石川九揚さんと対談した話を思い出した。この作業を始めた頃に読んだので、細かくメモしてあったので少し長いが引用させていただく。

【先生は「天から地の重力が働き、この重力に抗しつつも従う綴り字法が縦書きである」というようなことを書いているでしょう。おいらも人間と重力の関係は注目しているんです。例えば、人間には一Gという重力がかかっている中で、二足歩行だけではなくて、踊るということまでやった。これはすごいことで、特にバレエなんていうのは、重力に関してはものすごい挑戦であって、上に向かう跳躍力か要求される。バレエに限らず、やっぱり芸術というものは必ず上に向かうと思っている。「地球上にいる限り一Gで引っぱられる中で、それとの闘いがあらゆる芸術の基本である」とずっと言っていたんですけれども、先生の話も、おいらの「一G論」と共通するところがあるんじゃないかと思ったんです。
石川 縦書きというのは、天と地の間ではしごを昇ったり降りたりするということなんでしょうね。地上を走ったり歩いたりするのが横書き、ですから、縦書きの場合、そこのはたらく重力との闘いがあるんだと思います。『ジャックと豆の木』や芥川の『蜘蛛の糸』はその話。】

……で、この後、手書きの感情豊かな表現、ワープロの愛想のなさ、というように話が続いていきます。

 何故、こんな作業の途中でこんな記事のことを思いだしたのか。
 バレエダンサーやハイジャンパーなどは芸術の高みに、なんて言われると、私の作業は、ひたすら床を見つめ、こすり、洗い、流し、乾かし、拾い、重力という文字に平体二番(一昔前まで印刷のための文字造りは写真植字という方法を用いた。その際に縦も横も、文字の間を詰めてみせるために寸詰まりの文字を作りだした)をかけたような状態で歩き回り、きょうという日は真夏の階段で、重力にプラスしたバケツを下げてひたすら階段を下りていく、気分が悪い訳じゃないのにゲロをがまんしているオレは何だ、という気持ちになるのだが、そうか、これこそが横書き、手書きの愛想か、ダンサーやジャンパーとは違うセイソウフーかと思うとなぜかホットするのと同時に私しゃフツーの人だと思うカタルシスを感じてしまう。

 拍手や声援はないけれど、ウルサ型の多い住人たちも、私たちを見ては“ああ、ごくろうさんですねー”とたいていの人が声をかけてくれる。大勢の拍手より一人の声掛けが、じつにすがすがしいのだ。

アンチエイジングの話を忘れかけていたが、厚生労働省が生活習慣病を防ぐ運動量としての目安を作っている。
「生活上の活動」と「運動」に分けて生活習慣病予防に必要な運動量を計算したもので、「運動」で例えれば「軽い筋肉トレーニング」30分、「ゴルフ」15分、「軽いジョギング」10分、「ランニング」7.8分、「水泳」7.8分、などを各々1ポイントとして一週間の合計を23以上達成できれば目標到達ということになる。

 私のようにスポーツ嫌い(苦手ではない)という人には「生活上の活動」があるこちらの方がなじみやすく、取りかかりやすい。
「歩行」20分、「自転車」15分、「子供と遊ぶ」15分、「階段昇降」10分、「重い負荷を運ぶ」7.8分、「床掃除」20分、「洗車」20分、「庭仕事」15分、などが揚げられている 
 私がこのマンションの3階に住んでいるとすると、最低で次のような日課はこなせそうな気がする。

「朝の散歩」(片道20分×5日)=5ポイント。「日曜と木曜のゴミだしをする」(1×2日)2ポイント。「家内に頼まれた買い物を自転車でスーパーへ」(片道15分×2日)4ポイント。「土、日曜にマンションの庭掃除」(15分×2日)2ポイント。

 ここまで13ポイントだが、私は3階からの上り下りがあるので、各0.5ポイントかけるので6.5ポイントプラスで19.5ポイント、かなり引きこもりの中年男だが、週に一度はターミナルの書店に出かけるかもしれないし、プロ野球やラグビー見物にも出かけるだろうし、友人と一杯やりにも行く、駅の階段を利用するようにすれば、身近なところで何とか運動を達成できそうな気はする。

 ところで、きょうの作業をこのポイントに振り分けるとどうなるか。
「歩行」(最寄り駅から現場まで片道20分)プラス(作業中の移動時間30分)。「階段昇降」(時間では換算しにくいが、作業時間は4時間、階段数にすると450段ぐらいになる)。「重い荷物を運ぶ」(朝夕の用具の支度と移動10分)プラス(バケツの水の移動=階段昇降に同じ)。「床掃除」(階段昇降に同じ)。「洗車」(車は洗わないが、用具の水洗い10分)。
 バケツの水移動と床掃除は階段昇降に兼ねているので50%として全体で51.5ポイント程度になる。何という運動量!

 元気で長生きをするためには何よりまず足腰が丈夫なこと、とよく言われるが、その足腰を支える筋肉の衰退を止めるには、ただ運動をすればいい、というものではなく、具体的に体を鍛えることが大切なのだ、といわれる。
 筋肉の機能は30歳代がピークで60歳になるとぐっと低下する、それは使わなくてもすむ運動の機能が低下してくるからだ。必要なこと以外、特にジョギングなど積極的に行っている人などを除けば、体にきついことはだれでもしなくなる。先の一週間のポイントを達成しているだけでは、アンチエイジングに向かうことは出来ないことになる。

 高齢者の介護として筋力トレーニングを取り入れているところもあると聞く。運動には「生活上の運動」と「運動」の2種類があることは先に書いたが、この「運動」こそが、身体を作る効果を狙うもの。
 スポーツが嫌いなどと言ってはいられない、「身体に負荷をかけるぐらいの運動」で「筋力が張るぐらいの運動」を心がけなければならない、とすれば、このSマンションの作業ぐらい身体に負荷をかける運動はないだろう。スポーツとは言えないが、立派な運動だ。ただし、一人で勝手にやれ! と言われても実現しない、「強制的な仕事」であり、もちろん時間給がかかっているからこその作業ではあるのだが……。

 スポーツジムで汗を流しても、多分せいぜい2時間か、トレーニングにはお金もかかる、ひるがえって、掃除は、時に笑い話も入りながら、4~5時間、身体全体を使って、しかも小遣いがもらえる、こんなうまい仕事が他にあろうか。

 もし清掃作業員になっても体重が減らない人がいたら、コイツは真剣にソージをしていないことになる。まっちがいない!
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