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生涯で、一度も引越し、しない人、何パーセント?

 我が家の夕食時間は、七時から七時半に始まります。毎週月曜日、或る局のクイズ番組を見ながらが多いのです。まあ、読み書き算盤、常識問題、本や新聞を読まないけれど、コミックは何千冊もこなしているサーヤは、読み書き問題にはまずまずの解答をもたらします。受験で酷い目にあっているので、英語の問題が出ると、食事に邁進。ジャックは、クイズ番組見ながらのメシは、つい釣り込まれると、何を食ってるのか、何杯目の杯やってるのか判らなくなってくるので、真剣には見ないようにしています。時々“ねえ、お父さんはどっちだと思う”なんて、急に振られることがありますが、“うーん”なんて言いながら、かわすことにしています。

 番組の中で、ある社会事象について、何パーセントくらいが正しいか、二組のゲストに問うものがあります。よくこんなことを調べたな、と感心する様なものがあり、このコーナーには、ジャックもふと、杯止まってしまうのですが。例えば表題の「例えば、生涯で、一度も転居したことの無い人、何パーセント?」なんて質問が出ると予想されるのです。

 というところから、我が家の引越しの話が始まります。
 例えば、この問題があったとして、身近な問題として、考えてしまったことと思います。ジャックの考えでは「5~10パーセント」と答えたいところですが、いや待てよ「10~20」かな、なんて思い返したりもするのです。
 少ない、という考えに至ったのは、例えば、一般に、大学受験で地方から或る都市へ学生時代を過ごすために転居するのを初めとします。そして社会人になって結婚、新居に移るでしょう。子供が生まれて、複数家族が住むところへ再び転居する、というのが最も典型的な転居のパターン、かな、と思うのです。正月やお盆休みに、渋滞覚悟、満員の列車で里帰りする人たちが、これに当てはまります。平均「3~4回」、といったところでしょうか。

 多い方を考えたのは、私の身近での例があるからです。私の葛飾の実家には、6歳年上の姉と息子夫婦が今も暮らしています。この実家、宮大工をしていた祖父が、当時建築の仕事でかなりの収入があった人だったようで、自ら指揮をして200坪になる敷地に、木造の二階のある母屋と、大きな柘植の樹を真ん中にした広い庭のある「豪邸」でした。家の特徴を書いているときりが無いのですが、一つだけ。手洗いが三つありました。大便用の手洗いを中に、左右に小便用の手洗いが。長い廊下の果てにある入り口と、玄関口から来客が入れるように設計されていました。


私が生まれる前の写真。上の兄弟達と従兄弟が実家に集まった時だとか。我が家の縁側は地面から1メートル以上もあり、子供でも上がり降りが出来るように、30センチほどの高さのコンクリートの「靴脱ぎ石」がありました。昭和22年のキャサリーン台風(カスリーンともいう)の時は、この縁側から40センチ程上まで冠水。家族10人は二階で生活したそうです。


我が家の庭のシンボル、柘植の樹のまえで、25歳で病死した、私の名付け親の2兄と赤ん坊のジャック。

 私が結婚してユフィの新築の家に転がり込むまでの、思い出多い家でした。なにしろ、この家を建てたとき、この町には5軒の家しかなかったという年代物です。私が離れた後、二度の立替えをして、現在一階を駐車場、二階に姉、三階に息子夫婦という今時の家にしています。

 もう一件、私の19歳年上の長兄は、吉祥寺に住む母娘のところに結婚して住むことに。何のことはありません「マスオさん的な同居」は、私のはるか昔に実現させていたのです。で、この家、現在も当時のまま、周囲の現代風住居の中で、異彩を放つ木造平屋建て。150坪ほどある庭には巨大な栗の樹、塀沿いに椎の樹がそびえています。
 兄は10年前に死んで、今は介護の必要な兄嫁と息子夫婦が暮らしています。この先どうなるか、私の心配することではありませんが、こと転居が無い、ということに関しては、葛飾の実家と変わりません。私達は6人兄弟、すぐ上が姉、2番目の兄は25歳で結核で死んでいますので、5人の内2家族も転居を経験していないのです。

 話が長くなりましたが、表題の転居回数に、少し興味が湧いたのですね。
 転居の回数について、もう少し。会社勤めしている以上、転居を余儀なくされる人もいるでしょう。
 例えば、ジャックが取材で全国を歩き回っている頃、地方のビジネスホテルで、朝夕のNHKの定時ニュースを見ていると、東京で見慣れた顔のアナウンサーが出ていることがあります。“あなた、こちらにいたんですか”なんて、妙に親近感が湧いたりしたものですし、久しぶりに東京のテレビ見ると、“あれ、お帰りなさい”なんて独り言いうこともあるのです。仕事の関係で、いちばん転居の多い人かな、なんて思ったりします。

 転居の多い人の話の続きです。今まで、最も多く転居したのは、葛飾北斎で、90歳までに93回の転居をした、とされています。多い時は、一日三回もしたそうです。回数で次に多いのがベートーベン。56歳までに79回を数えます。昔を舞台にした映画などで、女性がトランク一つで家出をするシーンを見ることがありますし、馬車に荷物を積んで、他の町に去る、なんてことも出てきます。着の身着のままで、気軽に出て行ったのでしょうか。
 近年では夏目漱石で、49歳で30回以上の転居の記録があるようです。同じ作家で江戸川乱歩は70歳までに46回転居しているそうです。作家というと、大きな日本家屋にどっしり構えて一生を過ごすイメージがある一方、次ぎ次ぎ転居して新しい作品に取り組む、というスタイルの人もいたのですね。

 肝心の引越しまでのいきさつは、当サイト新設の「住み替え、引越」ユフィ、サーヤかあれこれ書いていますのでご参照を。本の引越しの失敗談もその中に。また、「園芸」のテーマの中には植木の引越しについても、書いています。

 さて、本論です。
 8月に売買契約が済んで、お祝いのうなぎのお昼を、デパートで食べて、後日、営業さんが転居の打ち合わせに来てくれました。業者の選定ですが、彼は即座に“アートさん(アート引越しセンター)がいいでしょう”と言いました。彼が言うには“ここはとにかく連絡がいいですから”と言うのが、今でも私の耳に残っています。毎年、年が変わって4月も終わりになる頃まで、さまざまな引越し業者のテレビコマーシャルが流れます。

 私達もどこがいいのか、とにかく営業さんにおまかせしようと思っていたのですが、すぐに結論です。コマーシャルでもいろいろなメリットを訴えますが、「連絡がいい」というのは、多分、業界では、こうしたやり取りがスムーズにいく、ということで彼は推薦したのではないか、と思っています。そういえば、五月の声を聞く頃には、引越し業者のコマーシャルは、夏の蝉の声がハタと止むように聞かなくなりましたが、今でもコマーシャル流しているのはアートだけのようです。また、コマーシャルソング持っているのもアートだけのようです。あの歌、初めに歌ったのは、歌手の、芹 洋子さんです、知っていましたか。

 世田谷地区を担当しているという、アートさんの営業さんを紹介してもらい、すぐに連絡、すぐに見積もりに来てくれました。
 多分、我が家の転居で、他の家との違いがあるとしたら、「家具類は全て置いていく」ということだったのではないかと思います。箪笥も、ドレッサーも、食器棚も、家電製品も、本箱も、ベッドも全て廃棄することにしたのです。きれいさっぱり。布団も、初秋で仮住まいできる最低のものだけ、と。

左はこの家が出来た時から使っていた空調設備。新しくしたものも、転居する頃には「ぜいぜい」咳き込むような感じに。右は、私が一切、立ち入ることが無かった台所。
 

とりあえず、持って行くことにした食器類、けっこうあります。家電で持っていくことにしたのは、居間のテレビと、ジャックとサーヤの部屋のテレビ。
 
ユフィが新婚時代に使った「三面鏡」今では珍しい。この家の台所は、床を開けて収納する便利な空間がありました。残念ながら、札束が隠されていたことはありません。

 家の中見て周り、その場で見積もり、そして、不動産営業さんからの紹介、ということでかなりのサービスを。更に、その場で営業所の責任者に見積もり金額と、サービス金額を報告、“この金額で、会社の了解も取りました”と私達三人の前で報告してくれました。とてもスムーズ、いと安心です。

 転居の日程ですが、月末は比較的仕事が混む、ということで、私達も今まで、何ヶ月も転居いつでも、という用意をしていたので、9月半ばということまで決まりました。担当さんは“とにかく、これ以上準備で身体を使わないように、転居は疲れます、前日に準備のために5人を派遣します、全て彼らに指示をしてくれればいいですから”と言ってくれました。

 実はこの段階で、私達の新居になるマンションの契約も済んでいたのですが、お相手の転居と全てのリフォームを予定していたので、約3ヶ月を仮住まいのマンションに運ぶ必要があったのです。
 転居準備の前に、ダンボールが届きました。仮住まいですぐに使用するもの、最低限の食器類、下着や日用品などは、私達で準備したのです。

 転居の前日、5人のスタッフがやってきました。届いていたダンボールには「どの部屋から、新しいマンションのどの部屋に入れるか」という欄があります。わかり易いように、我が家の場合、行き先は、1 リビング 2 キッチン 3 サーヤ 4 ジャック 5 玄関 6 ベランダ というふうです。リビングはユフィのものも兼ねています。例えば私の場合、「2階居間~ジャック」「2階ドレッサー~ジャック」「1階居間~ジャック」というように、仕分けされることになります。着いた先でこれを見れば、どの荷物なのか本人にはよく分かるわけです。


 スタッフの内1人は、サーヤの部屋の専属になりました。なにしろ、1.000冊以上のコミックを処分した上で、同じ量の本があるわけです。

処分する本だけでもこの量。
 
家を改築した時に、廊下にサーヤのコミックを収納するための、専用の書棚。

 もう1人は、キッチンと居間の食器棚の専任に、こちらもかなりの量の食器を処分したとはいえ、例えばジャックの酒器や、箸や箸置き、食器棚の引き出しの奥には、何処で買ってきたか覚えていないような、何年もの間一度も整理していないような、地方の工芸品などが、現れる始末。ここを担当してくれた人は、年配の女性、一つずつ丁寧にくるんでいきます。これは、専門、とはいえ大変な作業でした。他の3人は手分けで、あちこち。休憩を挟んで夕方5時近くまでかかりました。“私達が全てやりますから、家族の方は何もしなくていいです”と言われたのに納得です。

 実は前日、ユフィと、途中、飲み物などは差し入れることは当然として、「心づけを渡した方がいいのか」という相談になりました。初めてのことなので、営業さんに相談するのもおかしいし。とにかく、用意しよう、といいうことで渋谷の伊東屋へ。ここは、こうした祝儀、不祝儀などの「袋物」の種類が多いのです。例えば、ユフィの母が死んだ時、お寺さんにお渡しする「お布施」を探しに行ったら、ありましたからね。
 当日、心配をよそに、リーダーの人に渡して、皆さんからお礼を言われました。後日、調べたことなのですが、引越しに際しての「差し入れ」は32パーセントの人が実行、「心づけ」は14パーセントの人が、そして、両方実行している人は6パーセントという調査結果があることがわかりました。
 更に、「心づけの価格」は最高が徳島県の4.100円、最低が青森の500円というこでした。こんなことも調査されているんですね。我が家の「中身」はオフレコ、2日分、12袋を用意しました。

 当日は、大型のトラック2台、全てダンボールに収めてあったので、6人掛かりで次々運び込みます。玄関ものとベランダもの、サーヤの自転車でさいご。昼前には完了。運び込むのをほぼ見届けてユフィが転居先のマンションに先乗りして到着を待ち、運び入れる場所の指示をすることに。


 それより前、猫の「マサムネ君」を太子堂の動物病院へ、夕方までのお預かりをお願いに。私とサーヤは残って、忘れ物の確認、夕方4時頃、マサムネ君を迎えに。いくつかの持ち物を持ってタクシーに。実はこのタクシー、数日前、ほとんどの支度が終わって、しばらく来られないから、と言うことで、梅が丘のみどり寿司に食事に行った時、帰りのタクシーで、わりとよく話をしてくれる人だったので“よかったら、引越しの日、代沢から江東区の豊洲辺りまで行ってくれませんか”と言う話にのってくれて、名刺を頂戴、ほぼ予定の時間に迎えに来てくれた次第、こういう日に、いろいろな人が、気持ちよく仕事してくれるのは、後々まで、よく覚えていることになるものです。


仮住まいで使いそうな食器などを一まとめ。植木もきちんと、荷造りしてくれました。


転居前日、家中荷物だらけで、マサムネ君、居場所がなくなったか、風呂場の前のマットでお休み。荷物が全て積み終わり、がらんどうの家にマサムネ君を動物病院から引き取りに、お水と、ご飯少し。

昔の写真、私が風呂に入ると、湯船の蓋が温かいので乗ってきました。


我が家(左)の前の私道、突き当たりは、お蕎麦屋さん。

我が家は、地面から1メートル以上盛り土をした上に建っていたので、お隣さんの二階の屋根が見えました。私の部屋からはお向かいの庭が、我が家のような眺め。

この窓からは、大きな、きれいな満月もよく見えました。ある夕方、今まで見たことも無い大きな虹が。

転居の朝、家の前。

 ところで、トラックに積んだダンボールは、いったい、いくつぐらいあったのでしょうか。もちろん「数取り器」で数えたわけではありません。家の中にあるうちは、幾重にも積み重なっているので判りません。実は、今頃になって、どのくらいあったのか、想像するしかないのです。
 例えば、ジャックの場合、コートをたたまないで済むロングダンボール、とでも言うのでしょうか、7~8枚のコートが吊るせるものが2個、その他20数個、サーヤはコミックだけで20数個、プラスロングが3個、衣類など10個程度、ユフィはリビング関係も一緒の部屋に運んだので30数個、この他、キッチンに10個程度、玄関に10個程度、ベランダに7個、といったところ、合計すると120個位になったでしょうか。

 この項では、表題に「引越し」と言う言葉を使っていて、本文では「転居」としています。どう違うのでしょうか。ジャックの感じでは「転居」は軽めのもの、例えば、転勤などで一時的に居を移す、というもの。「引越し」は身ぐるみ家具一切家ごと何処かへ行ってしまうもの、なんていうイメージ持っているのですが。
 試しに、広辞苑調べてみました。昭和41年1月10日 発行の物です。
「転居」住所をかえること。居所を転ずること。やうつり。やどがえ。転宅。
「引越し」ひっこすこと。やうつり。やどがえ。わたまし。移転。転居。転宅。
 あまり変わりませんが、引用語でこんなことが書いてあります。「引越しそば」・おそばに参りました、の意にかけていう。「引越女房」・披露もせずに、双方から荷物を持ち寄って新世帯を持つ妻。
 へえー、です。
 調べていくうちに気になったので、念のため、引いて見ました。
「夜逃げ」夜の間にこっそり逃げ去ること。江戸時代には、破産のため夜逃げをすれば、それ以上は追求しない風習もあった。

 引越女房なんて、何か、ナマメカシテいいですね。
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