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江東区 って 何処

  マンションに住み替える。ジャックにとっても青天の霹靂。
 48年住んだ家は、ユフィと結婚した時、彼女の母と彼女が協力して建てた家。“何も持ってこなくていいから”というのが、築60年を超える二階建ての葛飾の家から新居へ移るときに言われていたこと。
 まあ、わざわざ持参するほどのものもなし、身の回りのものに、ジイサンがこしらえた「見台」や、端午の節句で毎年のように飾られていた「飾り馬」、卒業アルバムに古い本など数点を抱えて、夜逃げ同然の持ち物で新居に入ることになった思い出多き家では、あったのです。この時から私は「永久居候」を身に抱えて暮らすことになりました。

 この当時、両親、母は私が大学卒業した翌年の春の彼岸に胃ガンでで死んでおり、父はその翌年の秋の彼岸に卒中で夜、眠ったまま逝ってしまうという、幸せな最後を送った
後。母の具合が悪くなって、姉夫婦が実家に戻ってくれていて、私は独立した二階に一人住まい。めちゃくちゃ忙しい仕事で、月の半分以上は朝帰り、日曜にだけ、姉の準備してくれた食事で、晩酌している生活。ワリと気軽に、実家を後にすることになったのです。

 従って、住み替えの話が出た時も、ユフィとサーヤの思いを素直に聞いて、「賛成の意」を表すことにしたものです。ただ、私の希望としては、水辺の多い豊洲周辺であれば、出来うれば、運河の見える、いえいえ、運河と共に暮らせるところがいい、と必死に訴えることにしたのです。
 川にこだわったのは、葛飾の実家は、江戸川河川敷までは数分というところ。春は菜の花一面の広場で遊び、夏から秋は釣りの毎日、今人気の矢切の渡しには、船頭さんへの顔パスで、遠く里見公園まで遠征するという、川になじんだ子供時代の憧れがあったことも、理由の一つだったかもしれません。

 話を戻して、江東区です。サーヤは豊洲にある企業に勤務しているので、周辺の土地勘はある程度持っています。
 私は、高校が江戸川区にある都立高に通学。その頃は、東京はいくつかの区をまとめて「六つの学区制」を取っていて、例えば私は、江戸川区、江東区、墨田区、葛飾区を一緒にした第六学区に属して入試が行われると言う制度(七学区は無し)でした。

 通学は、常磐線・金町駅から上野、山手線で秋葉原、それから総武線、と言うコース。場所柄、江戸川区、江東区からの生徒が圧倒的で、墨田区、葛飾区はちょっと肩身の狭い思いをしたところ。従って江東区の級友は多かったのですが、通学路からは外れていて、肝心の江東区にはほとんど記憶がありません。当時彼らは「トロリーバス」(ネット検索すると、富山県の黒部の観光用の乗り物としてわずかにその面影を残すのみのようですが)という、今で言えば都バスの路線を、経路の電柱に張られた電線に、パンタグラフ状に伸ばしたツノ状のポールから電気を取り入れた、「電気バス」で通学していました。自転車通学など、望むべきも無い時代でしたね。

 さて、ユフィ。渋谷育ちで、結婚以来渋谷に近い世田谷暮らし。詳しく聞いたことは無いんだけど、江東区って何処、状態だったのではないかと思われます。
 オリンピックが目の前に迫るようになった今、東京湾の埋立地を、大田区と江東区でどう区割りをするかで、ニュースを賑わせましたが、この当時、江東区が申し立てをするように、「夢の島」へ、ゴミの集積をするところ、と言った、負のイメージが強いところだったことは、否めません。

果たして、江東区とは、いずこ。
 テレビのクイズで時折、おバカコーナーで、山陰の島根県を四国の中に間違えたり、逆に徳島県を山陰の一部に間違えたりする人がいますね。まあ、サーヤの人格を左右しかねないので、この問題をサーヤにするのは、控えておきましょう。

 日本地図はさておき、東京23区の地図を見てみましょう。皆さんの住む区が何処だかお分かりになりますか。


引用/Craft MAP

 さて、マンション探し。といっても、何時売れるのかは、ご縁次第。けれどマンションに住み替えが決まってからは、サーヤがせっせとネットで、場所と売り出し中の物件を、物色する日が続いていくことになります。
 ところで、江東区は区政によって次のように、区分されているようです。
・白河(しらかわ)・小松橋
・富岡・東陽
・豊洲
・亀戸(かめいど)
・大島(おおじま)
・砂町
・南砂
 どこもなじみの無いところですが、サーヤの検索は、後日みんなで週末を利用して見物に行くことにして、私は別途思い立ったところに行ってみることにしました。

 まずは、京葉線・塩見駅近辺のマンション。駅に降り立って、一目で、こりゃあかん。南口のタクシー乗り場とバス停ありのところにスーパー・マルエツがあるだけで、店と言うものが見当たらない。北口にマンションが並んでいますが、大型トラックなどの駐車場にかこまれて殺風景この上なし。運河はあるのですが、例えは悪いけれど、サスペンスドラマで、死体が浮いているシーンにもってこいのような雰囲気。
 この辺のマンションは、駅から東京駅まで数分、丸の内辺りのオフィスに通うには至近、という、若い人たちには格好の物件ではありそうだけれど。
 因みに、この駅、東京都内のJRの駅の内で5番目に乗降客が少ない駅。

土曜、午前10時、人影なし、タクシーなし、バスなし。

漢字で3文字 殺風景。

何も浮かんでなかったが。

 次は清澄・白河、周辺。この町も初めて。昔からの商店と新しい店が混在しているような町。おおきな「赤札堂」のビルがあるのにびっくりした。赤札堂、といえば、上野広小路にあった松坂屋に次ぐ大型店舗、という覚えしかない。その後上野から姿を消して、私には全く意識からはずれていたところ。(後でわかった事ですが、赤札堂は区内ではかなりの店舗展開をしているところで、かなりリーズナブルで地元から重宝されているようです)
 ところでマンションは商店街とは小名木川と隔絶されている場所で、マンションだけが孤立しているようで、何か寂しい。商店街は面白そうだったけれど。

 以上2件は、見学の必要なし、とジャックが結論。そして、いよいよサーヤの案内でマンションめぐり。
 まずは塩浜から。豊洲から歩くと、すぐの運河を越えて、さらに、二つ目の運河を越えたところの川沿いの遊歩道を100メートルほど歩いたところ。マンションの横手と裏に運河があり、ジャックにはちよっと気持ちそそられるところ。歩いても10分程度で便利さも程ほど。

マンションをL字型に運河が囲む、ロケーション好し、脚便好し、チャンスなし。

 次の週は門前仲町から木場へ。いわゆる「モンナカ」は東京・下町を代表する商店街や、大事件になった富岡八幡を擁するところ。事前にネットで見たときもマンションの前を運河が見える。マンションのある「石切場」は、地名のイメージか、ちょっと埃っぽい感じ。道路間隔も狭く、向かいのマンションが迫るよう。運河も狭く、流れも澱んだ感じ。物件ていうのは行って見なけりゃわからない、という典型。

 そして、忘れもしない、2015年9月19日。この日は辰巳から東雲周辺の見学予定。辰巳駅から豊洲へ向かうところ。辰巳の森海浜公園を三つ目通り沿いを歩く途中、歩道から公園内を歩いていた時、公園案内の看板に「ラグビー練習場」とあるのを見つけて、“あれ、こんなところにラグビーの練習場があるな”と言ったら、サーヤが“そういえばお父さん、ラグビーで日本が南アフリカに勝ったんだって”と言うので、私は“ばか言え、日本が南アフリカに勝つわけ無いよ”と。サーヤ“だって、スマホに出てるもん”とニュースを見せてくれた。ほんとだ、大変なことだ、マンション見学どころじゃない。マンションも見ました、豊洲でお昼も食べました、だけど、よく覚えていません、早く帰って、ニュースでこの目で確かめたい。の、忘れられない日になったのです。

日本代表が南アフリカに勝った看板。


「キャナルコート」と呼ばれる、東雲の高層マンション群、ご縁なし。右は後日サーヤとユフィが通うことになる「カーブス」と買い物で利用するようになるイオン方面から。


辰巳橋手前、辰巳団地の角に立つ。運河に囲まれる、対岸には運動公園、ご縁なし。


豊洲のタワーマンション、高くて、高い。ご縁なし


後々、ご縁になる豊洲のスーパー・ビバホームの園芸売り場、その辺の植物園より充実。

 という訳で、ぴたりとご縁の合った現在のマンションは、いずれ、誰かが紹介することになります。
 ここで、先ほどのクイズの回答。皆さんのお住まいの、区、は分かりましたか。


引用/エコリフォーム


後日「江東よいとこ 一度はおいで 酒は旨いし、姉ちゃんはきれいだ」を掲載するつもりです。
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