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母のまだらボケの嘘が可愛い

母のまだらボケは嘘が可愛い

80代に入ってから、毎日というほど出かけていた母が、急に外出をしなくなった。
遠出はしなくなり、でも近くの街までは毎日買い物に出ていた。
外出大好きの母だつたので、買い物にもあまり行かなくなったときに気がつくべきだったのだが…。

ある日、私の友人のお母様が遊びにいらして、いろいろ料理を出したところ、「ビールが飲みたいから、ちょっと買ってくる」と、近くの酒屋まで出かけた。
当時、私はあるスーパーの情報誌で料理の仕事を自宅でしていて、母への料理もその数々をスタッフが綺麗に盛り付けてくれたもの。
その美味しそうな盛り付けを見た母は、友人と飲みたくなったよう。
仕事に夢中だった私は、2階から降りてきたお客様の「お母様が戻らない」という言葉に愕然。
急いで探しに飛び出した。

我が家から酒屋へは踏み切りを渡っていく。
踏み切りまで走っていくと、踏み切りの向こう側にポカーンと立っている母を発見。
帰り道が分からなくなってしまったらしい。
ちゃんとビールは買っていたから、帰り道が分からなくなった様子。

仕事の途中なので、ともかく連れて帰って、一件落着。
2人で美味しそうにビールを飲み、料理も食べて、とても楽しそうな様子。
帰り道が分からなくなったことについては、本人には何も聞かなかった。
外出好きの母が遠出をしなくなった理由、買い物に行って半日も帰ってこなかった理由、しっかり分かったから。

きっとある時期から、電車の中や駅、買い物途中の道やスーパーの中で、『自分が何処にいるのか、分からなくなった』のだろう。
パニックだったろうと思う。
渋谷で長い間、飲食店を経営し、50代で引退するための家を建てたほどの人。
自分が「呆けた」とは、思いたくなかったことだろう。
遠出も止め、近くの街への買い物も少なくなっていった理由がこれだったのだ。

下北沢へ行って「半日も何をしているの?」との問いに、「友達とおしゃべりして」という言訳が嘘だったことも分かった。
よく考えたら、おしゃべりに半日は長すぎるし、それからあまり出かけなくなった理由も分かる。
家でも時々物忘れが多くなり、ジャックと「まだらボケ」と言っていた。
毎日の生活には支障のないボケなので、あまり気にしないことにしていた。
昔のことはよく覚えていて、しっかり話もできるのだが、最近のことはよく忘れた。
そして「あら、そうだった」と、笑いながらとぼける顔がとても可愛い。

ベランダまで延びた紅いもみじの若葉
ある春の日、母の居室の2階から「猩々もみじ」という若葉が紅い木が見えるので、「綺麗ねえ」と話しかけたら「秋は紅葉したもみじは綺麗だねえ」との返事。
「今は春で、紅い葉の出るもみじなのよ」と言うと、「あら、そう?」と笑っていたことがある。
『どうでもよいことは、どうでもよくなる』のだろうか。
今、紅い若葉と小さな花を見ていて、思い出した。
年2回紅葉が見られる「もみじの木」は、母のお気に入りだったのだが…。

母が逝ってから整理していた財布から、電話番号を書いた紙が出てきた。母が用意して入れておいたものよう。
連絡先をメモしていたのは良いが、自分の部屋の番号で、私達の番号ではない。
これでは、留守の母の部屋に電話がつながる訳だから、役にたたないことになる。
あのしっかり者の母が、こんな間違いをすること事態「まだらボケ」ということなのだろう。

生活にはまったく支障のない「ボケ」だったから、私達に実害はなかったし、『老いては子に従え』をなんとか自分に納得させての毎日は褒めてあげたい、と今は思う。
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