やましたさんちの玉手箱
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売却できない…次から次へと問題が

春から春へ 問題山積みでヘトヘト

不動産業者は信用できない F宅の考え方

担当がO氏に代わってから数ヶ月、鳴かず飛ばずの状態が続く。
その間、隣宅のFさんとは、測量の数字で大騒ぎになったり、植え木整理中の主人に奥さんが謝ったり、花が咲いたことの話題でほんのちょっぴり和んだり、複雑…

今後も書くことになるが、ともかくF宅の言い分は「40数年前の測量の数字にこだわる」ことが大きい。
誰が考えたって40年以上も昔の数字なのだから、新形式で機器できちんと何回も調べた結果にギャアギャア騒ぐこと事態がおかしいのに…。

東大出の自慢の息子も、弁護士の旦那も、何も言わないのが不思議。
奥さんの『納得できないことは納得しません』の言葉には、О氏も測量の人たちも何も言えずに、ただただ黙々と計っては伝えるだけの状態に。

私道から表通りまで出て、細かく計量器や地面の印付けなどを説明させたから、多分ご近所では評判になったのだろうに…。
F宅では気にならないのか?
О氏曰く「長い間仕事をして来て、初めての経験です」と憮然

後から言い出したこと『不動産の業者の言うことは信用できない』は、どうやら本心だったみたい。
普通の神経では、そこまでやらないと思うから…。
いったい何があったのだろう?

すったもんだの結果「お宅の方が広い」が悔しかった?
「塀を壊す」のも嫌だった?
 鉄平石が綺麗な塀

「境界線5センチずらして50万円」の提示、エェー!
結果、境界線が少しF宅側に出っ張っているので、真っ直ぐにしてその分買い取りたい!
経緯はこうなるが、そういう結論までに3ヶ月以上掛かっている。


最初の説明がいけなかった まさかの展開に

初めて買い手が見つかったので、その報告で訪れた時、「若い30代」「自分の方で解体」「詳しくは知らない」等々、聞かれるままに話したことが後々響いた。
曰く「まだ若いのに何をしている方」「出来れば塀はそのままにしたい」「どうして相手方のことを知らないの」う~ん。

確かに境界線は鉄平石を貼った綺麗な塀。
この塀が問題で、いまだに解決していないのだ。(現在2018年夏)
最終的には『塀の両端からの対角線内を買い取りたい』話に進展する。
サーヤが猛烈に反発して、大騒ぎの結果、しぶしぶ売ることでこの騒動が治まるのならと納得。

担当のО氏とも相談の結果、1坪と少しなので売り出しの土地の計算は余り変わらない、とのことでこちらは両家で話を進めることになる。
旦那さんの考えだね、「どうせ売るのならこちらで買い取ろう」だろうな…。

О氏と何回も打ち合わせして、F宅と話し合って契約書を作ることになる。
面積が少なくなった分、値下げは考えない。
新しく出直す良いチャンスと捉える。

禍根を残さずに解決を目指す。(ゴタゴタは引き続きあった)
サーヤを両親が説得して納得させたことにする…

結果を伝えたら「心苦しい提案で、顔を合わせるのも辛かった」と奥さん。
でもご主人が延々と引き伸ばしたので、個人同士の契約まではまだ掛かったけれど…。

なにしろF宅の旦那が、奥さんが作った契約書になかなか目を通してくれないらしい(奥さんも弁護士の資格持っているので)。
8月に入ってようやく、F宅との契約書作成にこぎつけた。
О氏に連絡して「会社所属の弁護士に見て」もらうことになる。


塀の問題は尾を引いた~

塀の撤去についても細かい・細かい。
奥さん曰く「更地にする際に、ブルドーザーで壊すのが合理的」とのこと。
ところが実際には、そんな簡単には行かなかったのだが…。

ともかく、三角部分の売却は決まったので、登記の費用はF宅で。
測量関係は我が家で、と決める。
更地になってからの塀の建設は、買い手との相談と言うことで納得

そんな相談をしていく中で「私道分の確認書」の話が出る。
細かく前回では書かなかったが、本当なら測量士立会いの上で集まっていただき、説明の上で捺印してもらうのだったのだ。

チラリと見える左の家がF宅 植え木は元我が家のもの

8月の暑い中、12人全員ではとても大変なので、F宅の奥さんも一緒に回るというのを押し留めて、ユフィ1人で回ってハンコをもらった。
「連名の場合は共有者代表の印」「三文ばんで良い・シャチハタはまずい?」「家人の場合は代筆も可」しっかりと測量士さんに確認の上。

そして、F宅と細かい打ちあわせをする。
「分筆登記申請手続き」がまず必要、そして測量関係を整える。
「分筆」ができてから登記申請とのことで、必要書類を整える。

「権利書」「区都税所 表可証明書」「住民票」「印鑑証明」「写真入身分証+保険証」そして「代理人なので委任状」「都税用の定額小為替」「返信用封筒に切手」。
あぁ、ユフィには荷が重い、でもサーヤは平日は会社だから仕方ないし…。

さらに、書類を整えるのに物凄く時間が掛かったのだ。
もっと簡単だったように思っていたのに…。
住み替えの一切合切をノートに記していたから、今見ながら書いているのだが、なんと8月の私道確認書の件は、11月まで掛かっていたのだ。
測量会社に頼んでいた分が、なかなか難しくて揃うのに手間取ったせい。

全て整えるのに3ヶ月が過ぎてしまい、またまた書類の取り直しをする。
やっと11月の終り頃、午前は混むからと午後一で世田谷の法務局へ奥さんと向かう。
F宅の奥さんとは何回来ただろう、5回かな?(別の話もあるのだ)

なんと通ったのが3時前、奥さんが登記できたら即半金払うと聞かないので、近くの郵便局まで走った。
150万円、確かに頂いてバスで帰宅。
サーヤが帰宅後「領収書」を持ってF宅に届ける。
いやはや、これで一件半分決着!?


いやいやまだまだお隣との攻防は続き 買い手は影だけ

実際には、塀の撤去は裏の塀とも関連していたからで、この境界のことでは愚図々々。
面倒臭いからその話はまたにする。

その間に不動産会社との契約は、2回も更新した。
買い手が見つかったような見つからなかったような…。
それらしい話は2回あったことはあった。
芸能関係の人で「私道の奥の土地がお好みなのだとか。
「旗竿地(はたさおち)」と呼ぶらしい。

そういえば、お隣のご夫婦が住まい始める前のこと、数年、持ち主のお婆ちゃまが別のところに住んでいて、空きの状態がり、初めに「舞台役者」という中年男性が住んでいたことがあった。地方での公演もあったようで、よく地元のお土産を持参いただいた。

その次は、フォークソングのグループ「赤い鳥」が数人で住んでいたこともあった。この人たちも律儀なところがあり、いろいろお土産をいただいた。

目立たないから、らしいのだが、名前の知られた有名な芸能人ならともかく、パッと売れて消えてしまう芸能人では、銀行からの借り入れが困難。
何千万円も稼いでいるのなら話は早いが、ちっとも進まずに銀行と交渉中が長く続いて、反応が無いのも困ったもの…。

そんな話が2件続いてしまった。
2度目の牟芸能人は自己資金はあるものの、銀行融資が駄目だったので友人知人に頼んでいるんだって…。
やきもきしたのだが、こちらでもF宅との交渉やらなんやらですったもんだの時期だったのだから、逆に良かったのかも知れない。

そして、年は明けて2年目に突入。
何やかやとО氏との関係は1年経つ、この間我が家では鳴かず飛ばずだったがО氏の仕事は12件も整ったらしい
やり手じゃない、どうして我が家は駄目なの?
相性が悪いのかも…。

そして4月、О氏がまたまた転勤で「日本橋の本店」へ移るんだって…。
3人目だよ、不動産会社ってこんなもの?!

前のお宅の庭が自宅のものみたい
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