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現在刻語事典

其の九 未成年飲酒

向島 待合 八畳間 七輪 すき焼き 新内流し
高校2年 クリスマス 親友親父公認
未成年飲酒はこのくらい揃わなくちゃ

 過日、アテネオリンピック銀メダリストの、山本 博先生。競技終了後に、教え子に飲酒させたとして、日体大教授を辞任したというニュースがあった。よい成績だったので乾杯のつもりでワインに口をつけた、というもの。ジャックも「一言」で書いたんだけど、ここは“ごめんなさい”だけでよかったんじゃないか、と思ってる。なにより、一緒にいた学生の気分はいかばかりか。自分達のせいで先生の辞任は、今後の競技生活に支障をきたさないかと、そちらが心配だ。

 ところで、ジャックの未成年飲酒を紹介しておきましょう。このぐらい堂々とやらなくちゃいかんよ。

 それは、高校2年生の二学期終業式の前日のこと。
 向島で父親が『待合』を経営するクラス仲間のUが(待合とは、そのままネットでウィキペディアで検索できるが、簡単に言えば貸席のことで、会合、芸妓を呼んでの宴席、はたまた男女の密会に仕出しの料理と共に利用される)、“親父がクリスマスってこともあるし、友達呼んで、家で酒飲めっていってるけど、どうだ”というので、喜んでご訪問することに。
 参加したのは小岩に住む帽子職人の息子のS、四つ木で酒店経営の息子のS、深川で個人タクシーやってる息子のI、本所で建材商の息子のK、そして当時親父無職のジャック。当時のUの自宅(なんとも説明が難しい佇まい、簡単に言えば旅館風)の周囲は料亭や旅館、同じように待合を経営しているような家が並んでいた。ドキドキでした。

 二階の八畳間に四角い大きなテーブル。お母さんがすき焼きの準備をしてくれました。七輪です。七輪(しちりん)とは、陶器で出来ている火おこし、鍋、やかんなど乗せて炭火で煮炊きするもの。当時家ですき焼きなんて、とてもお目にかかれないもの。傍らに、銘柄は忘れてしまったが、一升瓶が。Uの親父か“やんなさい”みたいなこと言ってみんなにお酌してくれて、後は自由にやりなさい、てな調子。集まった六人はそれぞれ、どこかで、だれかと、経験済みの連中で、ごく自然に宴会が進みました。

 少し脱線するけど、ジャックの未成年飲酒はこれより1年遡ります。高校1年の時、ばあさまが老衰で死に、通夜振る舞いはけっこう賑やか。それ以前、次兄の葬儀、じいさまの葬儀では「お燗番」が私の役目だったのですが、この時19歳年上の長兄は“お前も飲め”みたいなことで、徳利を一つ渡してくれました。もちろん高校生の私にお酌する人なんかいませんから、まあ、独酌で飲んでいたんだと思うのです。“うまかった”という思いはないのですが、おれも飲める、という感触はつかんでいたのではないでしょうか。昔の親父や兄貴はこうして、男を育てていたのでしょう。

 途中で表を新内の流しが、三味線鳴らしながら通りかかって、みんなで障子開けて通りを見下ろしたりもしました。
 多分この晩は、畳の上でごろ寝したんだと思います。翌朝、みんなで近くの隅田川に散歩に、全員二日酔い気分。で、そのまま、トロリーバスに乗って学校に。多分酒臭かったんじゃないかと思うのですが、先生はもちろん知る余地もなし。

 これほど堂々と酒を飲ませたUの親父も偉かったけど、ノッタ俺達もたいしたもんだった。こんな所業していた六人でしたが、当のUは慶応大学の文学部に、小岩のSは外国語大学のヒンディー語科に、四つ木のSは日興証券に勤めて、連続して営業トップを取ることに、深川のIは法政大学の機械科に、本所のKは明治大学の経営学部に、そしてジャックは早稲田の文学部へと、それなりに高校生活楽しみながら、結果を出していた。

 時は移って、Uは粋な男で、マセていて、私達グループのリーダー的な存在だった。彼の行きつけの銀座のバーにも行き、帰りに近くのラーメン食べるのも彼の楽しみにみんながつきあっていた。
 そんな彼が、つきあいのゴルフの後、早朝に心筋梗塞で急死したのは、49歳のときであった。

 現在、小岩のS・同窓の元ソフトボールの主戦投手だったマコちゃんと結婚した二人と、四つ木のS・和菓子屋のお嬢と結婚し、お嬢が店の酒を飲みつくすほどになったという二人と、いずれにも面識の無かったユフィと私の6人は、年に3~4回の飲食会を持っているのです。
 必ず交わされる会話が“誰が最後まで葬儀での見取りをするか”というもの。
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