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橋 幸夫 ・芸能生活55周年 そして、日本レコード大賞受賞「いつでも夢を」 浅草国際劇場公演

 ジャックのところには、半年に一度くらい、ミュージックビデオやCDの通信販売のカタログが送られてきます。もちろん、いくつか買っているからです。どんなもの買っているか、ですか? とりあえずご紹介してみますか。

『華麗なる世界の行進曲 輝かしきブラスの響き』 全8集
『夢のポップス・ヒット・グラフィティ』 全12集
『100曲モーツアルト』 12枚組
『すばらしき自然とともに 中田喜直ベストアルバム』 2枚組
『沖縄民謡の全て』 2枚組

『ちあきなおみ・コレクション ねえ あんた』 全6枚組
てなところ。なんか、自分の好み、さらけ出すみたいで照れくさいですね。

 で、橋 幸夫のCD買うつもりで取り寄せた訳じゃないのです。この次はコーラスのCD買うつもりで見ていますが、なかなか出ません。あまり買う人いないのかもしれませんね。
橋幸夫カタログ 表紙  橋幸夫カタログ 本誌

 そんな折、本箱大小4個の片付けをしていた時に、奥のほうから現われたのがこれ。
 これを貰って帰って来て、母親に見せたら“お前が特別出演したみたいだね”と大笑いされたものでした。ご覧のとうり。
『橋 幸夫 レコード大賞受賞 いつでも夢を 賠償千恵子 特別出演 ○○ ○様』と書かれている大入り袋です。浅草 国際劇場 とあるように、劇場側から私の名前を入れてくれているものなのです。前年のレコード大賞受賞を記念して国際劇場が正月一日から五日までの特別公演を行った時でした。
橋幸夫 大入り袋
●B5判サイズ文字どうりの大入り袋

 で、私がどうして特別出演になったかといいますと、劇場の場内整理のアルバイトをしていたのです。この年の六日から十三日までは、(前年の六日から、美空ひばりが初めての国際劇場公演を行っていて、)この年が2回目、田端 義夫と有島 一郎がゲスト出演しています。
 大学同期に、松竹の重役の倅がいて、ビンボーしているジャックにアルバイト持ちかけてきたのです。国際劇場の場内整理です。当時の国際劇場、(ネットで様々な検索が出来るので、詳しくはそちらにおまかせするとして)芸人としての最高のステータスとしての劇場でした。現在、タレントさんたちにとっては、武道館や東京ドームの公演が一つの目安になるのかもしれませんが、これとは異質の舞台となっていました。例えて言えば、アメリカでカーネギーホールに出演するほどだったのではないでしょうか。
 国際劇場はまた、いわゆるレビューの本場。松竹歌劇団=SKDの本拠地。こちらも人気でした。ちなみに、賠償 千恵子さんも、妹の賠償 美津子さんもSKDの出身です。

 実は、私達のアルバイトは美空 ひばり公演にありました。もちろん絶頂期にあった時代です。が、この少し前、ファンから硫酸をかけられる、という事件があって、それまでは舞台に上って花束など渡すファンも多い公演だったのですが、それ以来、ひばりさんは、非常にファンを怖がっていて、正月公演には絶対に舞台に上がらないように、という要望があったのだそうです。で、国際劇場を管理する松竹から、息子達の仲間に場内整理の依頼がきたわけです。今のような、警備会社なんて無い時代てすから。

 正月初日、劇場内を案内してもらいましたが、多分公演にゲストで呼ばれていた、堺 正章さんの父上、当時最大の売れっ子喜劇役者だった、堺 駿二さんにお目にかかりました。またこの時、案内してくれた劇場支配人さんが“おはようございます”と挨拶されるのを聞いて、芸人さんの世界では、朝でも昼でも夜でも、挨拶は“おはようございます”と言うのが決まり、と初めて知りました。

 仕事は、とにかく、観客が舞台に駆け上がらないように注意すること。舞台の高さは1メートル30~40くらいはありましたから、男の大人でもいっぺんに駆け上がることは難しかったのですが、それでも、舞台に両手をついて、“ヨイショ”とよじ登ってくる元気なオバサンはけっこういたのです。一公演で、3~4人くらいはヨイショする人がいましたが、幸い公演中に舞台に登った人は無く、無事アルバイトは終了。
 この時のバイト料が幾らだったか覚えていないのですが、多分、一日、千円だったんじゃないでしょうか、当時としてはいいバイト料でした。で、多分、大入り袋は500円札が入っていたと記憶しています。

 5日間の公演が大入りで、6日に配られたのでしょうね。ひばりさんの公演が終わった日、私達も打ち上げで、浅草のてんぷら屋で大いに祝杯挙げました。
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