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冬・2月の東福寺

伏見大社のお隣・東福寺を訪ねる

伏見稲荷の初午参りを翌日に控えて、まずは前日の稲荷の状態を見ておこうと奈良線で向かう。

新幹線を降りた連絡通路から、すぐ隣のホームがJR奈良線。
伏見大社は2つ目なので乗ったらすぐ着くのだが、ジャックとの待ち合わせ時間に余裕があったので、一つ手前の東福寺に寄ることにした。

ジャックは朝早い「こだま」で先に出発、「のんびりゆっくり酒を飲みながら、車窓からの眺めを楽しみたい」らしいので、女性たちとは別行動。
京都と大阪に学生時代からの友人が居るので、旧交を温めるには絶好のチャンスだ。

残念ながら京都の友人は都合が悪かったので、大阪の友人と通天閣で落ち合う予定で先行、「てっちり」を食べる約束なのだとか…。
伏見稲荷で3時近くの待ち合わせ予定だから、ゆっくり東京を立ったユフィ達は時間が少し余ってしまったのだ。

と言う訳で、一駅目の東福寺を巡ることにした。
駅から徒歩10分とのこと、狭い京都特有の街中の道を、伏見稲荷方向に歩く。

5分くらいで東福寺の入り口らしい路地を発見、まだ10分は歩いていないから、脇道から入れるのかな、と思いつつ入る。
後で寺内の略図を見たら、北門から入ったらしいのだが…。

脇道らしく、曲がったり他のお寺の横を通ったりしながら到着したのは、有名な通天橋が真正面に望める橋の上。


自転車や近所の方々が通る、生活感のある橋だが、趣は通天橋に似ているようだ。
テレビのドラマなどでもよく使用されている橋で、通天橋が冬枯れの紅葉の林の向こうに見えている。

そこで思い出したのが、親族旅行で秋の京都を訪ねたときのこと。
紅葉が見事な寺と言うことで、ジャックと二人だけで訪ねた思い出。
明日訪ねる永観堂・禅林寺は皆と一緒に回り、東福寺は別行動で訪れたのだが、なんでも忘れるユフィと違って記憶に間違いのないジャックが覚えていないのが不思議なところだ。

1236年から19年の歳月をかけて、摂政関白九条家が菩提寺として都最大の大伽藍を建立。
奈良の寺の東大寺と興福寺から、「東」と「福」の二字をとって名づけられたと伝わる京都五山文化の一翼を担っている禅林・巨刹だそうだ。

渓谷に架かる紅葉の名所として知られている「通天橋」は、京の名勝としては特に有名で、秋の季節には大勢の見物客でにぎわうのだが、2月の中旬という季節ではとても閑散としている。

脇から入ったので先に通天橋からの庭園を巡るが、枯れた枝ばかりの楓では趣は全くなく、ただ白い楓の種の葉が残ったりして風情はある。


続いて、方丈の「本坊庭園」に向かう。
天気予報では雪だったのに、曇り勝ちではあるが時々陽も射すので、ちょっとがっかりのような、嬉しいような複雑な気分になる。

傘の用意もし、防水スプレーを一缶使い切るほどに用意周到の準備をして来たのに、銀世界は望めないのがとても残念。
本坊庭園八相の庭は、白川砂と岩、サツキ、苔と敷石などで趣を変えた東西南北の庭園が有名なのだが、まずは最初の簡素な白砂の庭から入る。


それから進んで方丈の庭に向かう。
四方に四庭が配されているので、「八相成道(釈迦の生涯の八つの重要な出来事)」に因んで「八相の庭」と呼ばれているのだそうだ。
禅宗の方丈(僧の住居)には多くの名園が残されているのだが、四周に庭園を巡らせているのは東福寺だけとのこと。

東庭は別名「北斗の庭」と呼ばれ、円筒状の七本の石のバランスを取った高低の配置は、北斗七星を表しているとされている。
この円柱と白砂、天の川を表す苔と二重生垣だけの配置は、「静」の世界を現したものとのこと。
とても綺麗だけど、意味までは分からないよねえ。



反対に南庭の白砂と岩の組み合わせは、蓬莱神仙思想を現す日本庭園の定型的表現法として、私たち日本人には馴染み深いかも。
この岩も蓬莱神仙思想の表れで、仙人の住む島を表現しているらしいのだが、四庭では一番広く、また様々な形を取り入れていて「動」の世界を現しているらしいが、これもよくは分からない。

右奥の苔を配した築山は京都五山を現すといわれ、線状と円形の白砂の流れがとても美しい。
見たかった雪の中に静謐に存在する形は、パンフレットで見ることができたので「まあ良いか」と納得する。

西庭の大市松模様は、サツキの刈り込みと屑石で表現されている。
斜線上に組まれた市松模様は、連続して北庭の小さな市松模様に結びついているらしい。


北庭は、再利用された昔の勅使門から方丈に向けて敷きつめられていた切石と、苔生した部分との対比が不思議な感覚で迫ってくる。

昔からの作庭にはない現代的な庭だと思った。
実際に作庭されたのは昭和に入ってからで、重森三玲(しげもりみれい)
が昭和14年に完成させたものとのこと。

苔生した部分は白砂だったようなのだが、緑の苔と石の対比が美しく、現在の姿こそ北庭になくてはならないものと感じられた。
北側なので昨夜の雪が消え残っていて、不思議な冬の趣が感じられる。


パンフレットには春の北庭の写真があり、サツキと若葉の美しい庭園に変るようだ。


昭和を代表する造園家・重森三玲の作庭は、力強い石組みとモダンな苔の地割で構成されていて、この「八相の庭」は代表作といわれているらしい。
この記事を書くにあたって、ネット検索をしてみると、様々なことが分かって面白いというか、楽しいというか、ものを知らないというか……。
調べてから見に行くのも勉強にはなるが、後で「そうなのか」と納得するのも一興ではあるとは感じた。

重森三玲という人物、調べるととても興味深い人のようだ。
フランスの画家であるジャン=ソワ・ミレイに因んで改名し、美術大在校時からミレーと名乗っていたらしく、出家することで戸籍抹消できることから
出家までして三玲と改名に成功したらしい。

かなり変った御仁だが、芸術家には変人が多かったのだからこれくらいなら可愛いものかも知れない。
長男も作庭を志し、次男は写真評論家、娘や孫まで有名な芸術家らしいから、血筋は濃く流れるものなのだろう。

冬枯れの庭園は、春や紅葉の頃とは違って静寂に満ちていて、ゆったりのんびりできる空間がこころを豊かにしてくれる。
東庭の円筒形の石は「東司の柱石の余り材」を利用したもの、北庭の市松模様の石は「南の門内の敷き石」を利用したもので、この再利用が作庭依頼の条件だったのだとか。

難しいものほど燃えるのが芸術家らしいが、ユフィは簡単便利なものが大好きなので、早々に引き上げることにした。

方丈から外に出ると、「雪花」が風に乗って舞い散っていて、サーヤの「初めて見た」と言う歓声にユフィも頷く。
とても小さな白い氷の塊で、ひらひらと舞う姿が本当に雪の花のようで、これを見られただけでも「冬の京都」を味わえたと思う。

帰りは、駅から続く道路に向かっている中門から出る。
駅の方に行こうとすると、サーヤが「稲荷まで徒歩15分と書いてあるから歩こう」と言う。
東福寺でも大分歩き回ったし、大丈夫か?と思ったものの「15分なら良いか」と思い直して、ゆっくり左に向かって歩き出す。
しっかり15分で着いたけれど、でもくたびれていたから長く感じたな。
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