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痛風は 忘れた頃に やってくる

 ジャックは夜も朝も早い。
 夜はたいてい9時半にはベッドに行き、1時から2時頃にトイレに起きます。その後、BSのWOWOWに面白い映画があればそのまま観て、4時頃もう一度ベッドにもぐり込むか、3時からのBS日テレのニュース見てから寝なおす、かのどちらかが日常。いずれにしても、5時には起きます。
 9月26日(水)、いつものように2時頃に目が覚めました。トイレに行った時は何の異常もありませんでした。明け方起きて、新聞取りに行こう、と思ったのですが、ベッドから足を降ろした途端に足に痛みを感じました。歩けないほどではないので、エントランスまで、少し痛むので、いつもよりゆっくり。座っているぶんには痛みを感じないので、洗面も済ませ、朝の食事もいつもの通り、足の異常も家族には特に報告せず。この日は、部屋の掃除も無い日なので(ジャックは掃除のプロなので、部屋の掃除はトイレも含めてやることになっています)、植木の水遣りに少し足の痛み感じたくらいで、なんとなく、一日終わってしまいました。

 27日(木)、横になっている間は足の痛みは感じません。この日になって、足をよく見たら、左足の親指の付け根、いわゆる外反母趾になるところが赤く腫れています。左足全体がむくんでいる、あるいは腫れている状態。これはもしや、と思ったのはこの時。ただ、この日はアムール君のオヤツがなくなる日で、ホームセンターに行かなければなりません。何時も履いている雪駄にしようと思ったのですが、ちょうど鼻緒に当たります。我慢して散歩用の靴に、なんとか履けます。バス停までは数分、足引きずって、なんとか往復。
 帰ってから消炎鎮痛の貼り薬があったことを思い出して、取り出し、貼りました。一時期冷たくて効果があるような気がしたのですが、1時間ほどして、貼ったところが却ってチリチリと痛み出しました。ここへきて、確信です、まさかの復活です、医者じゃなくても分かります。

「現場からお伝えします、これが痛風の、一般的な症状です。明らかに、左足が赤く腫れあがっている、というか、むくんでいる状態がよく分かります」。ニュースで伝えればこんな感じでしょうか。バッチイ足でごめんなさい。

 痛風、実はジャックは10年ほど前、突然の痛風の発作に見舞われました。今回の痛みに比べれば爆発モノでした。この時は、痛みは突然、夜明け近くでした。左足の踝の辺りに猛烈な痛み、蜂に刺されたのかと思いました。この家も、築40年は越えています。蚊は飛ぶし、蟻も入ってくる、クマネズミが2階の天井を歩く、虫が布団に入りこんだってふしぎではありません。

 皆さん、蜂に刺されたことがありますか。ジャックは子供の頃、時々射されたことがあるのです。実家の庭には大きな椎の樹、柿木、石榴、柘植などの木や植え込みも多く、バアサンが庭の隅に畑をこしらえて、とうもろこしやトマトを栽培していたので、虫も多かったのです。バアサンも経験があって“もし蜂の刺されたら、近くにある石をひっくり返すと痛みがなくなる”と教えてもらっていたのですが、或る時、実際に。信じないかも知れませんが、赤く腫れますが、痛くなくなっちゃったのです。寺田寅彦にも、説明できなかったでしょう。(閑話休題)

 とにかく、痛い、風が吹いても痛い、と言いますが、風がなくても痛い、寝ていられません。勿論このときは何の症状なのか全く見等がつきません。トイレ行くのもやっと、洗面しようと思ったのですが、まともに立っていられないのです。9時を過ぎて、さて医者ですが、この家に来てから医者にかかったことが無いので、かかりつけの医者がありません。ユフィに相談して、おばあちゃんがヘルパーさんと週に一度通院していた、形成外科が私道から20メートル程の所にあるので、ほとんどケンケンの状態でたどり着きました。

 丸顔で目も丸いの、50代と思われる先生。なにやら面白そうに人の顔覗き込むよう。“一応、レントゲン撮るけれど、外的なものじゃないと思う、多分痛風です”と。
 レントゲンが仕上がるまでに、先生の引き出しから、痛風の手引書みたいなもの取り出してくれて、ご説明。と同時に、レントゲン現像、やはり外的なものは見当たらず。ここで初めて痛風を宣告されたのです。
 まあ、痛風そのものについてはここで説明するまでもなく、ネットで詳しく分かるので病状などの説明はカット。先生は、痛風の為のクスリ投与すると、却って痛みが酷くなるので、とりあえず痛み止めの薬で何日か様子を見ましょう、と。先に書いた消炎鎮痛の貼り薬に患部が反応してしまった時、咄嗟にこの時のこと思い出したのです。

 三日ほどでなんとか歩けるようになりましたが、頂いたパンフレット見ながら、ユフィと対策です。まず、一番いけないのがビール、なんと含まれるプリン体は日本酒、焼酎などの10倍以上。止める訳にいかないので(この頃夕食時にはユフィも缶ビールの半分を飲んでいましたので)、葛飾で酒屋をやっている高校時代からの飲み友達に電話で情報収集、教えてもらったのが「アサヒオフ プリン体 糖質 人工甘味料ゼロ」という発泡酒。
 今まで3日に一度は出ていた干物は10日に一度に、代わって登場したのがはんぺんとさつま揚げ、同じように納豆も削減、晩酌に少し楽しみが無い生活はそれ以来。しかし、ユフィは変わり味のさつま揚げなど見つけてくれました。

 かくするように、以来、毎年の健康診断は、肝臓の機能より、尿酸値に心配るようになり、その年の値で投薬したりやめたり。ただ、ご存知かもしれませんが、プリン体というものは、食として身体に取り込まれるのは約20パーセントで、あとはその人の体内で生まれるものなのだそうです。まあ、あまり食べ物に神経使わなくてもいいのかもしれませんが、気をつけるのに越したことはありません。
 こうしたことを知るにつけ、思い出したことがあります。ジャックには兄が4人、一人は早くに病死していますが、このサイトで紹介している4兄のカズンと3兄の二人とも30代の時に痛風を患っていました。実は長兄も、時々私の仕事場に立ち寄って昼飯を食べた時に、いつしか“痛風が出るといけないので、最近はビールを飲まないようにしている”といっていたのを思い出しました。我が家は、なんと「プリン体家系」だったのです。

 28日(金)とにかく、痛風確信しましたが医者にいかなければどうしようもありません。なんとか靴はいて、バス停までは行けるので代沢の医院へ行こうと思っていたら、前日から足の様子を知っていたサーヤも早く起き出して、ユフィとともに、モーレツに怒ります。そんな足で、代沢まで行く必要ないでしょう、私がかかっている塩浜のクリニックに行きなさい、と。サーヤは自分の電動自転車に乗せてあげる、と。頑固に代沢に行こうとする私も、折れました。
 さすがに二人乗りは無理、まあこの自転車なら片足で漕いでも進むだろう、と。ただし、信号で止まる時、日常的に左足で支えるので、これがちょっと心配。サーヤに付いてきて貰って、止まる度に支えてもらってようやくクリニックに。

 受付で“痛風だと思います”と自己申告していたので、まず先生足を観て納得。十年前に発症していると告げていたので、痛風そのものについては説明無しで、対症についてすぐにかかりました。とにかく痛み止めること、炎症抑えること第一に。痛み止め、通常は4錠づつだけれど、帰ってすぐに6錠飲むこと。そして7日分の対症薬の処方をしてくれました。

投薬された薬。右から「プレドニン錠5mg」アレルギーを抑える薬、炎症を抑える薬。「テプレノンカブセル50mg」胃の粘膜を保護する薬。「ナイキサン錠100mg」炎症や痛みを抑える薬、熱を下げる薬。

 ジャックは毎年の健康診断で、尿酸が高いので、今でも薬飲んでいるのですが、少し強い薬に変えたほうがいいのでは、とアドバイス。ただし、今すぐに薬切り替えると却って悪化させることがあるので、状態落ち着いてからにした方がいい、ともアドバイス。最後に、痛風は腎臓から発症する可能性もあるので、お酒には気をつけるように、と、わざわざ私の顔見ながら、おっしゃいました。なんか、読まれてるみたい。

 後日、いつもの代沢の医院に行った時、いきさつを説明。貴重な話をしてもらったのは、痛風発症したとき、絶対やってはいけないのは、消炎鎮痛の貼り薬を貼ることなんだそうです。貼り続けると、尿酸が外部に漏れ出して、大変なことになるのだとか。ジャックの初期の処方は正解だったみたい。

 一週間の投薬でほぼ、通常に歩けるように、二週間ほどは左足に負荷がかかると少し痛みましたが、距離短くして散歩も再開。足のむくみが少し残りましたが、一ヶ月で通常に。
「天災は忘れた頃にやってくる」は有名な警句ですが、これは突然に起こると言うことではなく、一度起きたことに警戒を怠ると再び同じことが起きる、ということなんだそうです。寺田虎寅彦の言葉とされていますが、彼の著作にはこのことは見当たらないとか。「痛風は忘れたころにやってくる」という表題は、正に今回のことに当てはまってしまったことです。
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