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ソケイ(腸ヘルニア)=脱腸 始末記 その1
ソケイ(腸ヘルニア)=脱腸 始末記 その2
ソケイ(腸ヘルニア)=脱腸 始末記 その3
ソケイ(腸ヘルニア)=脱腸 始末記 その4

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ソケイ(腸ヘルニア)=脱腸 始末記 その4

術後の養生

二日目
 帰宅後、今日はとにかく養生。病人気分で、布団のなかへ。昨夜は慣れないベッド、“横になるには構いませんが、うつ伏せにはならないように”と言われるやら、何10年ぶりかで酒を飲まない夜やら、でうつらうつらの一夜。陽の差す布団でうつらうつらの午後。
 夕食、“あなた、今夜は飲まないわよね”とユフィ。“いいえ、頂きます、昨日はさすがに酒は出なかったけれど、飲んではいけないとは注意書きには書いてない、飲酒は痛みの元になることがある、とは書いてあるけど、痛みの元になるほどは飲みません”ということで、いつもの半分ほど、お燗でいただく、いや、家での一杯はうまい。この日、痛み止めの薬を二種類貰ってきましたが、いずれも服用せず。

三日目
 今日はベッドから出て、仕事場の長椅子で終日横になっていようと、雑誌抱えて、髭も剃らず、ラジオ聞きながら過ごすことに。
 昼飯、いつもの休日のように(昨夜の酒は痛みの元にはならなかったので)昨日の夕食の残りをおかずに、少しお酒を湯飲みでいただき、長椅子でうたた寝。と、突然、お腹を何かに踏んづけられた。
 あぶねえ、マサムネ君が出窓の展望席に上るのに、そうだ、この長椅子から飛び乗るのを忘れていた。もう少し下だったら、モロ傷のところを踏まれるところだった。

四日目
 温室と部屋の鉢植えに水やり。多少、動き回ったのはこれが初めて。

五日目
 終日、パソコンで原稿書き。そろそろ歩き回る練習、なんていうと大げさだけれど、八日目には仕事復帰の予定なので、怖さ半分だけれど、明日は出かけるつもり。
 この日、手術後初めて入浴。寒い日なのでゆっくり湯船につかりたいのだが、ちよっと怖くて、早々に出る。

六日目
 午前中、ユフィが白内障の手術かがあったので、眼科まで付き添いの迎えに。
 午後から、受験合格と絵馬の原稿を書くために湯島天満宮へ。男坂はさすがに石段が高く、急なので女坂をゆっくり上る。

七日目
 今日も眼科へ付き添い。
 夕刻、術後七日目の検診に。防水テープを取ってもらう。傷のほうは順調で、残っている薄皮の紙状のテープは、折をみて剥がしてもよいとのこと。しゃがむようなこと、身体を捻るようなこと、重いものを持たないこと、など再び注意されて、一ヵ月後の検診の予約して終了。

八日目
 仕事復帰。朝は時間に追われて忙しいので、少し早めに始めようと、電車一台、15分早いのにする。所長に、仕事は最低限でやるからと、断りいれる。とにかく、しゃがむことに気を使ってやるので、中腰姿勢でやらざるを得ない。久しぶりの仕事のせいもあり、腰が痛くなった。小まめに休憩、なんていう仕事の仕方はないのだが、道具置き場に、踏み台を置き、モップの房を座布団代わりに置いて、臨時の椅子を作り、照明のない暗闇を休憩室代わりにする。所長、見にきて“へえ”なんて。

十日目
 仕事復帰三日目が定期清掃。この仕事は、椅子やワゴン、廊下のさまざまな器具を移動させなければならないので、メンバーに作業を頼むが、慣れないので仕方なく自分でやるはめに。夕方になって少し傷が痛む。無理はできない。明日は休みなので、身体休めることに。少しずつ身体なじませないと。

十一日目
 休みの日、夕刻風呂に、傷に張ったままの薄皮のテープを引っ張ってみたが、取れず、無理に引っ張り取ることもないので、まだそそにままに。

二週間目
 この頃になって気が付いたことがある。術前、不快なことの一つに、『お腹が鳴る』ということがあった。誰でも、お腹が空いてくると、『グー』と鳴ることは経験済み。じゃなくて、膀胱周辺が『ジュルジュル』あるいは『ビービー』といったように『鳴る』のだ。違いは、お腹が空いた時のグーグーは、時として、近くにいる人にも聞こえることがありますが、今度の場合は、私にしか聞こえない(はず)だ。私は、私見として、下がってしまっている腸が、膀胱近くに寄ってきて、本来聞こえるはずのない、膀胱にいわゆる尿が、溜まっていく音が、内臓を伝わって『聞こえて』くるのではないか、と勝手に解釈していたのだ。術前、これが解消されるかが、一つの興味或るテーマだったのだが、これが、全く無くなってしまったのだ。これ、一ヶ月検診の時、先生に聞いてみようと思っていたのだが、あまりに私的なことであり、女医さんに伺うことでもないか、と沙汰止みになってしまったのだが、これは絶対に、『腸と膀胱の接触異常音』だ、と、我ながら、納得している症状なのである。

 ビロウな話が続いて恐縮なのだが、この頃『放屁』が多くなったことがもう一つ。職場では、日頃体験のない『臭気』が訪れることがまま、ある。闇にまぎれて、放屁しても、疑われることのない場所でもあるが、そうもいかない、その度トイレに赴くのだが、術前に比較すると、放屁の回数が多くなったようなのだ。そういえば、手術日、三時間が経過して、看護師がやってきて、ベッドから起きることが出来て、トイレに自力で行ったとき“ガスは出ましたか”ときかれた。“はい”と元気よく言ったら“あ、いいですね”といわれたことを思い出した。
 放屁が頻繁なのは、腸の具合が良くなっているのじゃないかと、これも、自前の診断である。とくに、昼食後、誰もいなくなった控え室で、盛大に、軽やかに、長く、する放屁は午後の仕事への、元気なサイレンとなっている。

十八日目
 実は、当サイト『リビング』の「ペット」 〔猫は炬燵で 長くなる〕でも紹介しているのですが、夕食時、一緒に頂きますをしたマサムネ君、先に終わると私の膝の上に乗ってくるのが日常なのですが、さすがに術後は6キロ以上あるマサムネ君乗せるのはお腹の負担になる、と、まさに膝に乗ろうとするマサムネ君を隣のサーヤが抱きとめ、自分の膝上に乗せるようになった。マサムネ君、居心地悪そうな、それでもサーヤの食事が終わるまで我慢のひと時。
 それを、今日解禁することに。炬燵掛けの下に、ひざ掛けを敷いて万全の態勢。“いいのかい”みたいな風情で人の顔見ながらマサムネ君乗ってきた。着々と、術後の身体に戻ってきている。
 この頃のことねもう一つ。靴下、靴がまっすぐ履けるように。というのは、真っ直ぐに腰を折るのが怖いのと、ちょっと引きつるようで痛みがあるので、靴を履く時、足を胡坐かくように斜めに出して、履いていたのだが、いつものように、真っ直ぐかがんで履けるようになった。

十九日目
 夕刻の入浴のとき、薄皮テープがヒラヒラしていたので、端から引っ張ったらビリビリト(音はしなかったが)取れた。
 入浴後、早速ユフィとサーヤに見せる。バッカみたい。
 この頃、傷を意識することが少なくなってきた。しかし、寒い朝が続いて、ちょっと痛む、というと大げさなのだが、ちょっと違和感。少し動きすぎた日も違和感、まあ、これがブレーキになっているのかもしれない。

一ヶ月と四日目
 検診日。根岸先生、“きれいでよくなっています。まだ、糸が完全になくなっていないので、傷が少し固くなっています、だんだん無くなっていって、固さも取れて違和感無くなっていきますから心配いりません、いつもどおりの生活で大丈夫です、これで、診断は全て終わりです”。
 いつまでも病院に行きたい訳ではないのですが、こうして、もうここには来る事がない、と思うと、なにやら物足りない、寂しい感じがするのは、病気入院患者には、誰にもある感情なのでしょうか。
 初めての手術、入院は、こんな冗談を交えながらの、貴重な体験となりました。
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