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ソケイ(腸ヘルニア)=脱腸 始末記 その1
ソケイ(腸ヘルニア)=脱腸 始末記 その2
ソケイ(腸ヘルニア)=脱腸 始末記 その3
ソケイ(腸ヘルニア)=脱腸 始末記 その4

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ソケイ(腸ヘルニア)=脱腸 始末記 その3

手術の説明
病院 建物
 いよいよ手術ですが、その前に手術の内容と麻酔医による説明があります。が、なんと私としたことが大失敗。この日は家族同伴で行かなければならないはずだったのですが、手術当日に同伴するものだ、と大いなる勘違い。そりゃそうです、ユフィが白内障の手術の記事で、家族同伴で説明を聞かなければならないところ、先生の都合と私の休みがうまく会わずに、三回もキャンセルせざるを得なかったことがあったくらい。慎重なような私ですが、案外「飲み込みの半兵衛」なのでした。
 診察券を出したら“今日、ご家族は”と聞かれてしっぱいに気づいて、看護師さんと後で先生に平謝り。診察室の前で待っていたら、前に説明に来ていたのは、なんと、患者さんと思われるお年寄りと、ご婦人、そして息子さん夫婦と思われる三人もが診察室から出てきました。まるで、私をあざ笑う芝居のようなシチュエーション。

“奥様にもよく説明なさってください”と念を押されて手術の説明に
○術後入院の一泊で行うこと
○全身麻酔で行うこと
○手術は約一時間かかること
○メッシュで穴を塞ぐ方法をとること
 など、を確認のために説明されました。そして
○入院診療計画書(A3 見開き)
○手術同意書
を渡されました。
手術パンフレット パンフレットの2
麻酔パンフレット
麻酔パンフレット 麻酔パンフレット

次に麻酔医から当日の注意などの説明
○前日の食事は23時までに済ませて以後は断食。
○飲み物は当日7時まで。出来れば脱水を防ぐために「経口保水液 OS1(オーエスワン)」を2本飲んでくるように。お茶、コーヒー(ミルクは不可)は飲んでもよい。
○麻酔は点滴で麻酔液を入れて行うこと。
なとなど

そして事務の方から入院の案内
 実はここで驚愕、入院ベッドは個室、ということはネットで調べた時にわかっていたのですか、“平均の差額ベッドの料金は3万円になります”と言われて“えっ”という言葉は、からくも飲み込みました。
 そりゃ当然でしょ、これだけの作りの病院ですから。まるでホテル、持参するものはパジャマと下着くらい、洗面用具もタオルも、ドライヤーも、スリッパ、緑茶のティーバッグなど、部屋はテレビ、タフレット型PC、冷蔵庫、電話、電気ケトル、トイレ(ウォシュレット)、シャワー。
 私もずいぶんあちこち旅行も出張もしましたが、3万円の部屋には自慢ですが、泊まったことはありませんでした。こりゃせいぜいご一泊を楽しまなくちゃ。


いよいよ手術 お腹の膨らみに不快な思いも今日で終わり と思うとちよ
っと寂し
さも

 8時半に来院。ということで、7時半に出勤のサーヤと一緒に出かけることに。サーヤとユフィの朝食と一緒に、コーヒーだけもらいます。しかし、その前にやらなければならないことがありました。何だか、覚えていますか。そうです、「OS1」2本飲まなければなりません。実はいつものように、というより、1時間遅い5時に起きて、朝刊読みながら、まず、1本目に挑戦。前日の麻酔の説明の時“OS1は、むしろ身体の調子の悪い人の方が飲みやすいと言われます”と言われたのを思い出しましたが、前夜、いつものように晩酌頂いていたので、喉の渇きはだいぶあり、いつもお湯割りのウイスキーを飲んでいる、太めグラスにナミナミ注いで、半分は一気に。新聞読みながら、1本、完飲。トイレで二紙目読み終わり、2本目。案外スラスラと完飲、これ、実は自慢にならずに、苦戦の元に。
OS1
●経口保水液 OS1(オーエスワン)
このOS1についてユフィが記事にしているのでどうぞ。「年寄りの脱水症状にOS-1・オーエスワン

 サーヤは“私の友達に全身麻酔したことがある人がいて聞いてみたけど、なんか、突然意識がなくなって、夢も見ないし、フシギでイヤナ感じだったって、言ってたよ”おいおい、出掛けにヤなこと言うなよ。“それって、もしかしたら、人が死ぬ時と同じで、ブスッと意識が無くなるんじゃないかな”と私が言ったら“そうかもね、でも大丈夫だよ”と。手術当日の話じゃないよな。
 私は、いつも、仕事の疲れと、晩酌のおかげで、布団に就く時、頭が枕に着いたかどうか、分からない内に眠っちゃうんだけど、よく夢もみるし、突然意識不明状態と思ったら、今頃になって、ちょっと怖くなった。

 サーヤと途中でバイバイ、7時20分、到着。10分待って、30分丁度に手術フロアへ。まず、今朝の体温聞かれます“ハイ6度5分でした”。続いて血圧測定、多分高いぞ、案の定、180超。看護師さん“あら”私、“こんなもんです、私、白衣血圧って言われてますから、前日の精密検査でもこんなもんでした、想定内です”。

 控え室で術衣に着替えます。別の看護師さんが指示。9時にスタッフが待っていますからと、パンツ除いて前空きの術衣に着替えます。寝たままの状態が続くので、いわゆるコノミー症候群防止のための、ハイソックスを履くように言われます。

 右腕に認識用のゴムのバンドがはめられます。(このバンドは退院の直前まで付けられていました)。まあ、飼育されている牛の耳に認識タッグがパッチン止めされているようなもの。あ、もう一つ思い出した。私、数年前まで「ゆうもあ・くらぶ」という任意団体に所属していて、毎年、数名の芸人と30名ほどの会員が自衛隊の全国にある基地を順に、演芸慰問に同行していたのですが、入間の航空自衛隊基地から、C1輸送機に乗って出かけたのです。その時、首からかけられたのが、鉄製の認識表番号の鎖。万一の時の身元確認のためのものです。最初の時、ちょっと参りましたが、今回は一人だけのかくにんです。

 9時丁度に控え室の向かいにある1号とある手術室へ。もちろん歩いて。部屋には、これも術衣の主任看護師さん、麻酔医さん、アシスタント・看護師さん、そしてN医師。まず、腕の認識表を確認するよういわれ、氏名、生年月日を確認、踏み台を上って、自ら手術台に。すぐに酸素マスクがあてられます。“ゆっくり、息をすっていてください”。“麻酔の点滴用の針を入れますから左の腕を伸ばしてください”。やがて、チクッ。“術衣を取ります、腰を上げてください”でするっと、術衣が取られます。“点滴を入れます、異物が入るので少し痛みを感じる方もいるようです”と言いながら看護師さんが腕をさすってくれます。4~5回さすってくれたところで、絶命、じゃなかった、麻酔完了。

 同じような人たちに囲まれて目が覚めました。“ジャックさん終わりましたよ”とN医師、“ありがとうございます”としっかり答えました。術中、呼吸確保のためのチューブが喉の奥まで入れられていたのですが、この時は既にはずされていました。

 台から移動用のストレッチャーに移し変えられて、病室へ移動。ベッドに移るのに“膝を立てて、肘と足で右に移動出来ますか”と、その通りに、“あ、しっかりしてる”と誰かの声。ベッドに落ち着いて、看護師さんから“麻酔がすっかり覚めるまで3時間ほどこのままで、右、左どちらを向いてもいいですが、うつ伏せにはならないように”と注意を残して、一人だけに。実は、今回の手術でいちばんつらかったのは、この3時間でした。

 何もせずにじっとしているだけでなく、麻酔が覚めていくごとに感覚が戻ってきたのでしょう。まず、おしっこがしたくなってきました。後で看護師さんに確かめたのですが、術中おしっこの管が入ってはいなかったのです。なにしろ、がんばってOS1を2本飲んでいるのでたまっているはずです。こりゃとてもがまんできません。ナースコールのボタン押します、枕元のスピーカーから明るい声“どうされましたか”“おしっこがしたい感じなんですけど”
、この感じなんですが、明確に出そうという訳じゃないんですが、このままじゃまずい、という感じ。看護師さんやってきて“トイレはまだ行けないので、尿瓶(しびん)でやります”

 尿瓶、初体験です。ヤダ。この時初めて分かったのですが、術部の周りを20センチほどの伸縮の腹巻で巻かれていたのです。まず、ピリッと腹巻はずし、いつの間にか着せられていた術衣の前空けられて、○ん○んつままれて、冷やっこい尿瓶に当てられます。看護師しばし退場。5分くらいで登場、しまってくれます、多分出ているだろうと思うのですが、開放感がなし、“出てますか”と確認“出てますよ”とお返事、量を見ることは出来ませんでしたが一安心。
 ラジオを持ってきていたので、看護師に頼んで取って貰えばよかったのですが、そのまま、こんな時の時間が過ぎるのがなんと遅いことでしょうか。なんと、この後2回も尿瓶のリクエスト。“OS1がんばって2本も飲んじゃったから”なんてつまらぬ言い訳までしちゃいました。

 3時間経過、看護師さんやってきて検温・血圧測定、体温が7度2分あるそうです。朝計った時は6度5分でしたから、上がっています。風邪気味のような熱っぽさは全くないのですが、お腹を切っているのですから、抵抗が生まれているのでしょうか。ベッドから立ち上がるように言われ、よっこらしょ。立てました、“トイレ行きますか”と看護師さん、“喜んで”とは言いませんでしたが、そんな気分。このとき分かったのは、腹巻の下にタテに15センチほど、幅3~4センチ、厚さ1センチほどの充て物がテープで止められていました。

“なるべくベッドで静養してください、6時頃にお食事お持ちします”看護師さんが去って、さあ、3万円部屋代満喫時間だい。といっても歩き回るわけにもいかず、持ってきた週刊誌、スミまで読んで過ごします。
 実は、この病室、予定していた部屋が都合で使用できず、一回り大きな部屋に変わっていのだそうです。“で、ここいくら”なんてゲスなこと聞くなんて事はもちろんしませんでしたが。まあ、ラッキーということ。
病室
病室

 ところでここの7階には『ミクニ マンスール』というレストランがあります。私は好みではありませんが、フランス料理界の有名人・三國清三さんがプロデュースするあのレストランです。病院にフレンチのレストランがあるのも異色というか、オッタマゲーション。
 ミクニ マンスール
医療と食の関係を真摯に見つめた院内レストラン。カロリーや栄養バランス、食材の安全性に配慮した、美しく、おいしく、心と身体にやさしい「マンスール料理」を基本とする厳選素材によるフランス料理を基本にさまざまな要素を取り入れ「豪華=満足」という従来の発想を打ち破る新たな食のアプローチ。
 
(院内パンフレットより)

マンスールとは1970年代、フランス人シェフのミッシェル・ゲラール氏により提唱されたキュイジーヌ・マンスール=美しく、おいしく、カロリーを抑えた料理、に由来しています。

 6時、お食事きました。昨夜8時半頃に夕食終わってから何も口にしていないのですが、あまりお腹が空いた感じはありません。
今夜のメニュー
○鶏肉の包み焼き
○アスパラのヨーグルト和え
○キャベツのスープ
○発芽玄米いりごはん
○フルーツ(りんご)
○ほうじ茶
夕食夕食

 私、西洋野菜全くダメで、食べたことのないアスパラを前にしばらく考えました。“これ、3万円の内だぞ”という声がどこからともなく聞こえて、思い切って食べることに、ヨーグルトの味がけっこう勝っていて、食べちゃいました。
 看護師さん、片付けにやってきて“あら、完食ね”なんて言ってました。

 お腹できましたが、何か足りません。そう、お酒です。もちろん、いくらミクニ マンスールといったって、ワインが付いてくるわけもありません。後は寝るだけ。しっかし、こんなに眠れない夜も初めてだ。

 いつものように、4時頃に目が覚める、といってもずっと目覚めていたようなものでが。テレビをつけますが、土曜の朝のテレビはつまらんね。ウイークデイは各局早朝のニュースショウやってるのに。
 7時、廊下の電気が点いて、看護師さんが検温、血圧測定。8時に朝食とのこと。なるほど、入院患者の楽しみは、うまくもまずくも、食事時間かと、思い至る。で、朝食、クロワッサンにスクランブルエッグ、紅茶にフルーツかな、なんて思っていましたが、メニューは次の通り。
○揚げ゛の詰め物(ぎんなん ひじき、コーンなど入り)
○ジュリアンサラダ
○ごはん
○味噌汁(これまた私の苦手のシメジだ)
○ほうじ茶
○バナナ ヨーグルトかけ
朝食
今朝も完食、でもご覧のようにブロッコリー乗ってます。これもダメ、これだけ残しました、実は昨夜の包み焼きにも、今夜の味噌汁にもシメジが入っていて、これもダメのうちなんだけど、飲み込んじゃいました。

 9時、先生検診、お世話になりました。家ではベッドか布団か聞かれました、布団と答えたら、お布団敷く時は誰かにやってもらってください、と。知らぬ内にお腹に負担のかかることやっちゃいそうですものね。先生のお名前もう言っちゃいます。根岸由香先生です。

 10時晴れて退院。
 この日のお会計。3割負担で、入院、手術、麻酔などで70.860円。部屋代30.000で合計100.860円。

 病院の前からタクシーでご帰還。
 夕方まで長椅子で静養。夕方サーヤ帰ってきて“見たい”。私も実際にはよく見ていないのでユフィもやってきてご開帳。一同“きずがずいぶん小さいね”。私も改めて小ささを認識。テープがこれだけだから、実際のキズはもっと小さいということになります。
テープで貼っている傷口、人差し指より小さい

 話は少々戻って、四谷メディカル キューブという名前の後に きずの小さな手術センターと書いたのには訳があります。私が手術したフロアは、きずの小さな手術センターとなっています。
 内視鏡外科で日本を代表する兼平永二医師が開発した「エックスゲート」を挿入して極端にきずを小さく、患者に負担をかけない手術方法がとられているのです。

一週間後の外来診療まで一週間の仕事休み。私思い出しただけでも、旅行や出張取材で仕事から離れていたことは除いて、こんなに休み取るのは新婚旅行以来、といってもあちこち出歩けるわけでもないので、マサムネ君と陽だまりで安静の日々であります。
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