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羽生結弦 平昌オリンピックの衣装

ショートプログラム「バラード」ブルーと白と金と

この曲でショートを滑るのは3回目?
3回共に衣装は似た感じの「ブルーとホワイトのグラデーションのブラウス」姿。
3年前の衣装では、比較的おとなしい雰囲気で、写真の関係からか落ち着いたブルー。

2014年度の「バラード」衣装

2年前の衣装は、最初と比べるとブルーの色がはっきりとしていて、金の三角形のアクセントが袖口の内側と脇の下に入っているのがポイントだった。
更にウエストを黒味がかった金の幅広いベルトで締めていた。

【NHK杯フィギュア】男子ショートプログラムで羽生結弦の演技
27日、ビッグハット(撮影・桐山弘太)

今回のオリンピックでは、ユフィの感じ方ではホワイトとブルーのグラデーションがはっきりしていて、以前は気にしなかった「全体にちりばめたラインストーンもグラデーション」になっているのを確認できた。
白地には白の、青地には青の少し濃い色合いのラインストーンが散りばめられている。

今回の金は「ハイネックのラインストーン」と、少し抑えた色合いのベルトに配されている 。
ハイネックの白い部分に、金のラインストーンで模様が表わされていて、それが首周りまで放射状に配されているのが、今までと違うところ。

JEAN CATUFFE VIA GETTY IMAGES


白井伸洋撮影

金を脇に配した前回のブラウスとの違いは、全体に柔らかな透け感のある素材と、ネックの金の配色だろう。
ネックとウエストの金で統一感も出ていて、煌びやかと言うよりは逆に落ち着きが漂っていたと思うがどうだろうか。
金の配色を布地ではなくラインストーンの模様で埋めている感覚なので、華やかさと落ち着きの両方を兼ね備えることが出来ていると思う。

グラデーションもブルーの部分が広がっているように感じる。
生地が薄いのでブルーの広がりが、薄く大きく感じられるのだろうか。
試合終了後、下に入れていたいつもの黒い首飾りが表に出てきて、アクセントになっていたのも『いつもの彼らしい』と思った。


フリー「SEIMAI」は戦う陰陽師

2年前の羽生選手の衣装紹介では、この曲のお披露目用と実戦用の二体を比べて紹介している。
 ー羽生選手 15~16年のシリーズの衣装は フェミニンじゃあない

23歳になった今回のオリンピックに臨んだ衣装は、全体的な印象は変わらずに「平安時代の陰陽師風」なのだが、色調が変化しているのだ。
まずは衣装本体の布が違っている。

前回は、地紋のはっきり分かる生地にラインストーンなどで模様を描いていたのに、今回の生地は薄手で透け感のあるもの。
白い細いリボンで模様を表わした「リボンレース風」の生地を使用しているようだ。

●前回の衣装

優勝した羽生結弦のフリープログラム=28日、ビッグハット(撮影・桐山弘太)

●今回の衣装

(c)朝日新聞社
薄地なので下に重ね着している紫の色が、薄く透けて見えているが、照明などが強いとそこまでは感じられないようだ。

模様も生地とは関係なく、金と黒のラインストーンなどで多分「鳳凰の尾」をイメージして左肩から下へ斜めに流れるように、見ごろの前後や左右の裾に配されている。
金の帯風のベルトは、ショートの衣装とは違っててしっかり金色で華やかになった。

そして、重ね着した紫の色合いが照明などで違うことを合わせて考えても、「赤紫色」に近いのではないかと思う。
生地も薄地なのか、肩から覗く部分の感じから透けているようだ。
袖先の部分では、金の細い縁取りがされていて、それは襟元と肩口の切れ目にも繰り返されてる。

あ、袖口の金の縁取りに見えたのは、動画を見ていて気付いたが、袖口に裏打ちしている金の布地が覗いていたもので、薄地の紫を補強する意味もあるのかも知れない。

そして、見逃せないのがリボンと言うか紐の色合いが変わったこと。
若草色(ライトグリーン)から青緑色(ターコイズ)に変化しているのだ。
初々しかった若い黄緑から、青みの強い洋風な色合いに変化しているのは、どういう意味合いがあったのかな。

AFP/GETTY IMAGES

確かに若緑は戦いには似合わないから、大人になった現在の色にはふさわしいのだろうか。
襟の重ね部分と袖口の紐、肩口の割れ目と、とても印象的に使われている。

前回の衣装と比べると、華やかさが少し押さえられていて、大人の戦う雰囲気が増している、と感じたのはユフィだけだろうか。
一位に決定した瞬間の涙には、様々な思いが込められていたのだろう。

映画「陰陽師」の楽曲から、7曲選定して編集された「SEIMEI」は、羽生自身が付けた題名らしい。
『清明』とは、「清く明らかなこと」「二十四気の一つで、陽暦四月五日ごろ。万物に清新の気がみなぎる時節」と出ていた。
旧暦の2月後半から3月前半のこと、『万物が清清しく明るく美しい頃』らしい。

もちろん陰陽師「安倍晴明」のことでもあるのだが、平安時代のこの世とあの世が渾然一体の時代の寵児(世にもてはやされる者)は、現代の羽生本人に蘇った感がある。
本人も「ここまで演じられるのは僕だけ」と言っていた通りの金メダルだった。
「和の繊細さ、力強さ、線の使い方、全てが彼らしいプログラム」ということ。

映画で主役を務めた「野村萬斎」との対談で、様々に学んだ羽生のこれからの人生は、まだまだ23歳の若者、これからの道のりはこの人ならではの激しいものになるだろうと考えると、自分の意思を貫く覚悟は誰よりも強いと感じる。

「完璧」を求める求道者として、何処まで行くのか、目を放せない若者の出立がこのオリンピックとも言えるだろう。
『4回転半』を目指すとの意向、いかにも彼らしい。

そして、更に思うのは、この「SEIMEI」は多分一生彼のものだけのものになるだろう、と言うこと。
ここまだ表現できるのは「羽生結弦」ただ一人だけだし、今後彼以上の天才的フィギュアスケーターは出ないだろうと思えるから…。

http://number.bunshun.jp/articles/-/829940

真央も彼女だけが表現できる最高のフィギュアスケーターだが、彼女が演技した「蝶々夫人」は宮原知子も今回のオリンピックで演じているし、まだまだ出てきそうに思えるが、平安時代を現代に表わすことが出来るのは羽生結弦だけだと思える。

多分、日本のフィギュアスケート界に燦然と輝く『羽生結弦のSEIMEI』として、残り続けるはずだ。
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